瞬間に応ずる身のさばきは、武道やスポーツばかりでなく、生活や人生においても重要です。生活即武道、人生即修練というのが基本であり、後れを取ることの無い速さは、普段から身に付けておくべき「武士の心得」でした。
密教ヨガに学ぶ神人合一の人生
其の七十六 丹田を中心に体幹が整い、中心力や統一力が生まれる
見るときには全身で見る、感じるときも全身で感じる。そうして、余分な力を抜きつつ、全身(統一された心身)で動作・対応出来るようになっていくことを上達といいます。
「考えていても駄目である。研究し、工夫して、練習を重ねる。そうして自分の心身をそれに適するように育てあげてゆく。これ以外に道にかなった奥義到達の方法はないのである。
其の七十五 字は、手だけで書くのではなく、全身で書け!
ペンで字を書く練習は、慣れないうちは手の筋肉だけで行うから大変ぎこちないです。しかし、だんだん慣れてくるとサラサラ書けるようになります。
其の七十四 見えない世界(深い原点)とつながっている自分を信じよう!
沖導師は、「くつろぎ、あがらないために必要なものは何かといえば、無心無体になる練習をすることである」と教えます。「無心」とは、何かに没入・没頭することによって、心に迷いや囚われが無い状態のことです。
其の七十三 上がらないためには、無心無体になる練習が必要…
本番で普段通りの力を発揮するためには、何かに拘(こだわ)ったり、囚われたり、引っ掛かったりしてしまう心を解き放ってやらねばなりません。いかにして勝敗を決する本番のときに、普段の練習のときのような心のくつろぎと、体の緩やかさを保つかです。
其の七十二 勝負になると、かたくなってしまって平素の力を出せなくなる…
舞踊や音楽などの世界で、これから本番を迎える人に対して師範やコーチが投げ掛けるアドバイスが、「練習と同じ気持ちでやりなさい」とか「普段通りにやればいい」といった言葉です。
其の七十一 どちらを選んだら損をし得をするかという、表面的な迷いから抜け出す!
商売は勿論のこと、宗教や政治などの分野においても、相手を信じ込ませることの巧みなカリスマ的指導者がいます。話を聞かせているうちに「確かにそうだ」と思い込ませ、多くの人々を顧客や信者、支援者に取り込んでしまうのですから時として注意が要ります。
其の七十 一つの世界に長く身を置き、年を取るほど、自分から苦言を求めよう!
自己発見のためには沢山の苦労を重ねる必要があり、それには「苦言を呈してくれる者を求め」るのがいいとのことです。どの世界でもそうですが、先へ行き、年齢を重ねるほど、誰も注意してくれなくなります。誰だって人に意見するのは、決して気持ちのいいことではないからです。
其の六十九 まねながらも、自分にあった「角度」を発見しよう!
修養と訓練は、打算を捨て、無心にぶつかって行くことが肝要ということですが、ただ闇雲にやってもダメとのことです。それは、試行錯誤して自分を生かせる場を探すなり、努力工夫して成長する仕組みを作るなりしなければ、結局上手くいかないからです。
其の六十八 日常生活を稽古の場と心得て修練に励もう!
実戦の場は瞬間的変化の連続であるから、ゆっくり考える余地などどこにもありません。ひたすら無心に、自然体で取り組むしかないのです。無欲・無心になって余分な力を抜き、心身が統一された状態で対応出来るかどうかです。とりわけ激変期の指導者には、この瞬間的変化への対応力が必須となります。