江戸時代初期の大学者であった山鹿素行は、徹底した尊皇論を説きました。
シナ(支那)は自国のことを「真ん中の華」、つまり「中華」と称しておるものの、そう名乗ることの出来る根拠としての連続性に乏しい。それに対し、神代から続いている日本こそ、中華の国に相応しいと唱えたのです(シナはチャイナ(英語)やチナ(仏語)と同じで中国のこと)。
確かに中国は、素晴らしい文化を創造し続けてきた大国です。その誇りが中華思想を起こし、周辺を東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼んで蔑(さげす)みました。
それに対して素行は、中華と言うべき歴史的根拠を持つ国は日本であるとし、「中朝(ちゅうちょう)」という熟語によって我が国の尊厳を示しました。中朝には、「本朝(我が国)こそ真ん中の国である」という意味が込められています。
その事実を著したのが、山鹿素行の『中朝事実』なのです。
宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、河戸博詞先生の素行への思いと合わせて、次のように述べています。
「山鹿素行は、『中朝事実』において、万世一系の天皇家は神代から二百万年続いてきたとし、君臣の義を忠実に守ってきた日本こそ世界の中心たる精華、言いかえれば「中朝」であると主張した。シナは儒教を産んだものの、帝王がたびたび暴力革命によって入れ替わってきたから、「中華」の国と呼ぶにふさわしくないと批判した。山鹿素行は、幕藩体制下においても武士の最終的な忠誠は江戸の徳川将軍ではなく京都の天皇に向けられるべきと考えていた。
『中朝事実』は、学習院長乃木希典の愛読書でもあり、殉死の直前に学習院の生徒であった裕仁親王に「これをよくお読みになるように」と献上したことでも知られている。この頃、河戸は、素行の「没後三百年祭」を乃木神社で挙行しようと計画していたが、それは、乃木大将が『中朝事実』を心のよりどころにしていたからであった。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.234.)※裕仁親王は、のちの昭和天皇。
山鹿素行と『中朝事実』、そして乃木閣下のことは、河戸先生から何度もお聞きしました。山鹿素行の「没後三百年祭」は、河戸先生のお手伝いとして参加した記憶があります。
山鹿素行は、シナを礼賛する学者が多かった当時にあって、立ち位置を日本に置き、事実をもとに尊皇論を展開した大学者でした。
「万世一系の天皇家は神代から二百万年続いてきた」という話は、あまりにも大袈裟でびっくりするでしょう。しかし、その文献的な根拠が『日本書紀』にあります。(続く)