その27 あらゆる人間の尊厳を認め、生まれてきた価値を祝福しようとした宗教家…

イザナキの命とイザナミの命は、天つ神(大宇宙の神々)からアマノヌボコをいただきました。アマノヌボコは、未完成の宇宙をひとつにまとめて進化させる力の象徴であり、イザナキとイザナミだけでなく、あらゆる人間が貰っているものと筆者は解釈しています。

そして、ヌボコは一人一人が持っている天性(天から受けた個性)や天分(天からいただいた持ち分)のことでもあると考えています。天性や天分は、個性や顔が異なっているように、人それぞれ違います。そもそも価値は違いにあります。違うことによって誰もが固有の役割を持っていることになり、助け合い、補え合えるわけです。

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その26 宇宙は不完全、それを進化発展させるところに人間の使命がある!

何が正しいかについて、あれこれ思うところを述べてみました。正しいことであるほど、調和して美しくなり、周囲とも和合し、物事が上手くいくようになるはずです。それが基本なのですが、世の中に完全はありません。正しいものが必ず世に受け入れられ、正義が常に勝つわけではないのが現実です。

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その25 生きる喜びが湧いてきて身心が整い、ご先祖とは“二人三脚”の人生に…

「何が正しいかを考えるときのヒント」の最終回は、「使命から正しい生き方を考えてみる」です。「使命」には、文字通り「命を使う」という意味があると言えます。自分の命を、一体何のため誰のために使うのか。それを真剣に考えてみることによって、生き方や在り方における正しさを確立していこうということです。

私たちの周りには、「目立ちたがり屋さん」が沢山います。表向きは「世のため人のため」を語っていても、本心では損得を基本に常に「自分のため」を考え、事ある毎に目立って人から注目され、偉さを認めてもらえるよう動いてばかりいるような輩(やから)です。そういう人に接してみて、どれだけ「正しい生き方」を感じられるでしょうか。天下国家に対する使命感よりも損得勘定に関心が向き、いつも利害得失を計って生きているような人なのですから、私心が匂ってきて醜いとしか言いようがなく、生き方に美しさがありません。

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その24 健康とは中心力がしっかり働き、各部分の個性が生かされている状態…

「何が正しいかを考えるときのヒント」に、もう少しお付き合いください。
続いて、宇宙進化から正しさを考えるときについてです。沖ヨガをはじめ、一般的に東洋日本思想では、個々の人間と大宇宙を繋ぐよう導きます。
あるいは、もともと宇宙と人間は一つなのだから、同根であることを自覚するよう促します。

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その23 一段上を観ることで、全体観を養っていく…

綜學は綜合學問の略です。何事に対しても綜合的に観、全体から観たときにどうなのかを考えてまいります。

では、綜医學は何でしょうか。綜医學は、綜學を代表する各論です。これも綜學が基本となっており、身心全体から健康を整えていくことになります。

身心を全体から整える。そのためには、人生や仕事にも綜合観を持つ必要があります。人生や仕事においても、次のように一段上を意識してみては如何でしょうか。

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その22 立志の前に見立てておくべき素志、それは人生の種や原点…

立志の前に見立てておくべきことがあります。それが、人生の種や原点にあたる「素志」です。

松下政経塾の五誓に「素志貫徹の事」という言葉があります。なぜ一般的な初志貫徹ではなく、素志貫徹なのでしょうか。それは、初志のもっと前に腹に据えておくべき原点(素志)があり、それを大事にして欲しいという松下幸之助塾長の願いがあったからでした。

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その21 立志によって、生命体の求心力が高まる!

大和言葉・国学の師匠である河戸博詞先生は、生命体について次のように説明されていました。

あらゆる有機体には、実在としての中心がある。生命体の場合、それをイクタマ(生魂)という。

イクタマを中心に、生命体として必要な要素が集まっており、それをタルタマ(足魂)という。タルタマは、満ち足りた玉(集まり)のことである。

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その20 時と量と質、これらの程良さに正しさや善がある…

「バランスの取れている状態が正しい状態」という沖ヨガ哲学と同様の見解を、江戸時代後期の佐藤一斎という儒学者が述べています。佐藤一斎は湯島聖堂(昌平坂学問所)の儒官(総長)として、孫弟子やひ孫弟子まで含めれば、約3千人もの幕末志士を育てた師でした。

一斎は、その著『言志録』の中で次のように述べています。(意訳:林)

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その19 人間は苦悩があるから進化する…

中国・明代の思想家である王陽明は、知ることと行うことは一つであるという、知行合一の行動哲学を唱えました。知ったことは行って初めて完成し、行うことは知ることがもとになっていると。また、知ったからには、それ(お知らせ)を自分へのメッセージ(我が事)として行うべきであり、行うからには、ちゃんと事実や情勢を知らなければ浮足立ってしまうことになります。

行うというのは、ヨガにおいては「行」となります。行の大切さを、沖正弘導師は次のように述べています。

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その18 バランスの取れている状態が、正しい状態…

沖正弘導師は語ります。誰もが正しさを求めるが、そもそも正しさとはどういう状態なのか。

「正しくありたいという願いをもたない人は、おそらくいないことと思います。しかし「正しく」という状態が、わかりにくいのです。正しさとは、どういう状態でしょうか。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.24.)。

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