憲法十七条は文章にまとめてあるのですから、その意味で成文憲法です。
しかし、そこには普段文章化されていない、日本人の「心の在り方」や「問題解決の心得」といった、日本社会の深層に息づいている「和の精神」が込められています。
私見が入りますが、各条文の要点と、その主旨を一言ずつ述べておきます。
憲法十七条は文章にまとめてあるのですから、その意味で成文憲法です。
しかし、そこには普段文章化されていない、日本人の「心の在り方」や「問題解決の心得」といった、日本社会の深層に息づいている「和の精神」が込められています。
私見が入りますが、各条文の要点と、その主旨を一言ずつ述べておきます。
3名による会話(鼎談)は、思想的に相通じ合うこともあって、大いに盛り上がって散会となりました。3名とは、昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏、熱心な神道家で皇宮警察警務部長であった仲山順一氏、大和言葉・国学の師である河戸博詞先生のことです。
場所は東京都国分寺の仲山邸、ときは昭和52年7月。それは、林が河戸先生と出会ってから2年後にあたります。
大和言葉・国学の師である河戸博詞先生の、憂国の情が舌鋒鋭く炸裂します!
今(令和8年)から50年ほど前の国情について、戦後復興を果たして物質的には栄えてきたものの、国民が日本人としての気概や誇りを失い、個人中心主義に堕し、いよいよ世界の食い物にされようとしていると。
立憲政治が行われる中で、戦前の昭和天皇は、どうのように政治家を戒められたのか。これについて、宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、次のように述べています。
天皇は、二つの「まつりごと」を担われます。一つは政治のまつりごと、もう一つは祭祀のまつりごとです。天皇は元首であると同時に、祭祀王でもあるのです。
昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏は、次のように述べました。
昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏、熱心な神道家で皇宮警察警務部長であった仲山順一氏、そして大和言葉・国学の師である河戸博詞先生。3名の盟友によるここまでの議論を、三上氏がまとめました。
「万世一系の天皇家は神代から二百万年続いてきた」という話の続きです。
天下をさらに平和にしようと志された神武天皇は、九州の日向から大和へ向けて御東征されます。
まだまだ互いの抗争が絶えない我が国を、よく統(す)べよう(まとめよう)と志され、その中心地に、四方を青山に囲まれた美しい地である大和を選ばれたのです。
江戸時代初期の大学者であった山鹿素行は、徹底した尊皇論を説きました。
シナ(支那)は自国のことを「真ん中の華」、つまり「中華」と称しておるものの、そう名乗ることの出来る根拠としての連続性に乏しい。それに対し、神代から続いている日本こそ、中華の国に相応しいと唱えたのです(シナはチャイナ(英語)やチナ(仏語)と同じで中国のこと)。
権力を手に入れることしか眼中に無く、名誉欲や金銭欲に取り憑かれている低徳政治家の襟を正す。そうして、道義における彼らのお手本となるお言葉を発するところに「天皇の存在意義」がある。それが、大和言葉・国学の師である河戸博詞先生のお考えであるというところまで述べました。
河戸先生の盟友であり、皇宮警察警務部長であった仲山順一氏がこれに同意し、「単なる選挙元首だと、敬意も一体感も湧いてきませんね」と述べました。(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.233.)
憲法条文の改正案として「天皇は、日本国の元首であり、日本国と日本国民統合の象徴である」という言葉が出たところで、河戸博詞先生が口を開かれました。
「「その象徴という言い方が気に食わないなあ。日の丸が日本国の象徴というのはわかるが、生きてはたらいておられる陛下を国民統合の象徴というのは、なんだか腑に落ちないね。日本人は、あまり抽象的な表現では肚(はら)に力が入らないんだ」河戸は、もと軍人らしく単刀直入なものの言い方を好んでいた。」
(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとpp.231-232.)