其の十二 そもそも日本の歴史や伝統は、欧米のモノサシでは図りきれない…

吉野ヶ里遺跡の主祭殿に、“高次元のまつりごと”が復元・展示されているということを述べた。見えない世界の霊性を、いかにして見える世界の政治に反映させるか。それは古今東西、人間社会における必須の課題であった。

我が国の場合、高次元のまつりごとは、宮中祭祀によって現代に至るまで継承されてきた。天皇陛下と宮中祭祀、さらに天皇の権威について考察を深めていこう。

「陛下は、ご自身の健康は二の次にするほど伝統の作法に忠実に従い、早朝あるいは深夜まで、熱心に日本国の平和と安寧を祈っておられる。公務がご多忙のときは掌典長などに代拝をさせることもあったが、この皇室の伝統的祭祀を学者たちは全く無視しているではないか、と入江には不満であった。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.25.)
※「入江」…昭和天皇の侍従長・入江相政(いりえすけまさ)氏

歴代天皇が祭祀を重んじてこられた中、昭和天皇も宮中祭祀を重視されたのだ。
伝統の作法に忠実に従い、挙行時間が早朝や深夜に及ぶことがあっても、国家の平和と国民の安寧のために祈りを捧げてこられたのである。

ところが、天皇の宮中祭祀への取り組みについて、一般に学者たちが冷淡であった。そのことを、侍従長の入江氏は不満を持っていたという。

そして、天皇の権威というものは、この宮中祭祀に由来しているのだが、左翼による「天皇制批判」には、まずこの伝統文化に対する視点が欠如していると。

「天皇の権威というものは、本来この祭祀に由来するのであって、日本人は時代を超えてその権威を尊重してきたために天皇の地位が長く保たれてきたのである。そういう伝統的文化の視点が、左翼陣営の「天皇制批判」にはまったく欠落しているのではないかと侍従長には思われた。そうした歴史的経緯を無視して、欧米の闘争社会をモデルに作られた社会革命論や人権論を輸入し、得々と振りかざすことが、果たして日本の学者のすることであろうか。」(同p.25.)

そもそも日本の歴史や伝統は、欧米のモノサシでは図りきれないところがある。
欧米人のモノサシは、闘争社会がモデルとなっている。権力者は悪者だから倒せと叫ぶ社会革命論や、秩序(関係性)よりも個の独立を重んずる人権論がそれである。日本の学者たちは、それらを無批判に輸入し、得々と振りかざしてきたが、それが果たして日本の学者のするべきことだろうかという疑問が呈せられている。

そして、「天皇は、政治上の側面と宗教上の側面と二つを兼ね備えた両義的な存在なのである」という。

「天皇は、単に日本国の政治的代表者であるばかりでなく、いや、それ以上に日本の文化的伝統と霊性を代表する祭祀者である。皇居で行われる歌会も、形を変えた祭祀の別の表現といってよい。天皇は、政治上の側面と宗教上の側面と二つを兼ね備えた両義的な存在なのである。政治は、至高の叡智によって導かれねばならず、至高の叡智をこの世に表現するには、大なり小なり何らかの政治的関与を伴わなければならないというのが、本来のわが国のありようではなかったろうか。」(同pp.25-26.)

天皇は、表面的な「政治的代表者」ではない。「日本の文化的伝統と霊性を代表する祭祀者である」というところに尊厳の根拠があり、それに基づく「至高の叡智」によって、国民の先頭にお立ちになって政治に関与されることになる。
本来の我が国の在り方も、そこにあるというのである。

天皇は、単なる象徴ではない。象徴では、ただの“お飾り”となってしまう。
高い霊性によって国民に進むべき道筋を指し示されるところに、スメラミコトの存在意義があるのである。それは、大和言葉と国学の師である河戸博詞先生が、口癖のように語っていた“遺言”であった。(続く)