「常に今が大事で、いま自分が生きているという事実が重要、そうでなければ意味が無い」。これは、大和言葉・国学の師である河戸博詞先生による中今(今が中心)の教えだ。
この教えと、意味が重なると思われる思想を、神道学博士・皇學館大学特別教授の松浦光修氏のご著書から学んだので紹介したい。「今を生きている自分が主体である」という点が重なっていると考えられるのである。
明治新政府に対する士族の抵抗に、熊本市で起こされた神風連(敬神党)の乱があった。この反乱は、廃刀令への反対運動として明治9年に発生。
約170名によって結成された神風連の戦死者は28名で、それをはるかに上回る自決(自刃)者が86名(もしくは87名)出ている。
刀は武士の魂である。それを腰に差せなくなるということは、武士にとってこれ以上無い屈辱であった。神風連の決起は武士として当然の訴えであり、彼らの戦死と自刃(じじん)に強く魂を揺さぶられぬはずがない。
そうして「神風連を呼び覚ました」人物に、作家の三島由紀夫氏がいると松浦氏は言われる。
三島氏は自衛隊に「天皇を守る軍隊(皇軍)」となることを求め、憲法改正のための決起を呼びかけ、そして割腹自殺を遂げた(昭和45年11月25日)。
松浦教授は、『神々の日本史』の中で次のように述べている。
「世間ではよく、三島は「神風連の影響を受けた」と言うが、私は、そういう言い方をあまり好まない。思想史という学問をやってきた私からすれば、そういう言い方は、事態の本質から、どこかズレているような気がするからである。“心の実態”からすると、事実はまったく逆ではなかろうか。つまり“三島の思いが神風連を呼び覚ました”と言う方が、適当ではないか、と思う。」
(2023松浦光修『神々の日本史』経営科学出版p.276.)
如何だろうか。時間の順序で言えば、当然のこと明治初期の神風連が先で、昭和を生きた三島由紀夫氏のほうが後だ。従って客観的には、先に起こった神風連の乱が三島由紀夫氏に影響を与えたのであるが、そのことを主観的に観れば、三島氏の思いが神風連を呼び覚ましたのだと。
この「自分が主体となって過去の出来事を呼び覚ます」という主観的認識に、志士ならではの歴史の学び方がある。既にこの世を去った神風連の武士たちの「死の意味」を、今を生きている三島由紀夫氏が呼び覚ましたというのは、まさに主観的認識そのものではあるまいか。
歴史の主体は、常に「今を生きている自分」でなければ意味をなさない。
では、今現在ここに生きている自分は、歴史の主体として、一体何のため誰のためにどう生きるのか。
この「どう生きるか」という自己への問い掛けは、同時に「どう死ぬか」という死生観に重なってくる。
ともかく、神風連の武士たちと、それを呼び覚ました三島由紀夫氏は、今度は我々が呼び覚ますべき対象として並ばれた。呼び覚ますのは、気付いた者の使命であろう。
明治になって武士たちは、その魂である刀を捨てさせられた。戦後は、日本人から日本の心(大和魂)が奪われてしまった…。この状況下において、先人の「死に様」を呼び覚ますことなく、無為に中今を生きるということはあり得ないことだと思う。(続く)