其の十六 人を覆っている、眼に見えない「氣」や「オーラ」、「霊的エネルギー」…

昭和天皇と、ご進講役の三上照夫氏…。侍従長の入江相政氏は横からこの二人を見て、その深い対話から、なにやら霊性の高さを感じた…。宮崎貞行氏は、その様子を次のように述べている。

「陛下と三上の間には、なにかしら共通の資質というものがあって、それが瞬間的に交流し、放電し、火花を散らし、新しい磁場を現成させているのではないだろうか。
その共通の資質とは、眼に見えない一種の霊質のようなもので、うまく表現できないが、人体を覆うとともに、人体に形を与え、人体の活動をそれとして成り立たせている根源の霊的エネルギーといってもよいのではないだろうか。最近はやりの言葉でいえば、オーラというものかもしれない。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.77.)

人には、その人を覆っているに眼に見えない「氣」や「オーラ」、さらに「霊的エネルギー」といったものがあり、それが強ければ人と人が交流する際、「放電し、火花を散ら」すことにもなるというのである。特に資質が共通し、「霊質」として“周波数”が合う場合、そこに「新しい磁場を現成させ」ることになると。

入江侍従長には仏教学の学びがあり、それを元に、この霊的存在についての話しが進められていく。

「人間は、身体と心体と霊体の三層よりなる多次元に渡る存在だという話をむかし仏教学者から、ご進講してもらったことがある。肉眼で見たときに、人間の身体が現れ、心眼でみたとき心体が現れる。そして霊眼が開いたとき、人間の霊体が観察され、霊体同士の交流が始まると講師は語っていた。霊体というのは、無でも空でもなく、実質ある超微細な実体であると語っていた。」(同p.77.)

人間は、心体(精神)と身体(肉体)が一つになった存在であり、霊体はそれらが融合一体となったときに働く、あるいは働きが高まるという意味での三層構造なのだろう。

その心身一体の存在を、河戸国学では「ミタマ」と称している。ミタマは身玉や実玉であり、超微細な実体である「ミ(身・実)」が、玉のように円満にまとまった存在である。

また、「ミ」は別の表現では「ナホヒ(直霊)」とも呼ぶ。ナホヒは、大宇宙のミナカから真っ直ぐ飛んで行ったエネルギー(超微粒子)のことで、このナホヒ(直霊)の総称が「ミ」ということになる。

まさに霊体とは、心体と身体が一つになったミタマによって発動される働きや作用のことと言えよう。霊体とは、そういう高度な生命現象としての実体である。

昭和天皇と三上氏の、“霊体による交流”の説明が続く。

「そうであるなら、陛下と三上は、同質の霊体を持ち、それが身体の奥深いところでお互いに反応し、自分の知らないうちに、時空を超えた一瞬の対話を行っていたのかもしれない。その対話は、後醍醐天皇の時代から特攻隊の時代まで、さらに先日のご進講のときまで営々と重ねられてきた交流であって、その時空を超えた重層的な対話を一瞬のうちに貫き了解させる何かがあったに違いない。」(同p.77-78.)

「後醍醐天皇の時代から特攻隊の時代まで」とあるが、皇統の正統性を考察する際、必ず採り上げられるべき時代が後醍醐天皇の御代であり、昭和天皇が大御心を深くお痛めであらせられたのが、特攻で散華された英霊たちの死に様である。

そうして、「時空を超え」、歴史を貫いた「重層的な対話」が、昭和天皇と三上氏の間になされていく様子を見て、「入江は、三上という前代未聞の破天荒な男に次第に興味がわいて」(同p.78.)いくのであった。(続く)