其の二十五 崇神天皇と大三輪(おおみわ)伝説~霊覚によって直接神意を受け取る…

霊覚や直覚を働かせていたという第十代の崇神天皇の事蹟について、宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、次のように述べています。

崇神天皇は「非常に敬神の念の篤い天皇で、治世に当たっては、太古から伝えられた魂ふりの行を日々行って身心霊を清め、自ら神意を聴こうとした。古事記によると、疫病がはやり、人民が次々倒れていくのに心を痛めた崇神帝がお祀りをしていたある夜、オオモノヌシの大神が現れ、「オオノタタネコをもって吾を祀らせれば、天下太平になる」というお告げが耳に聞こえた。そこで、神官オオノタタネコを探して三輪山に大三輪の神を祀らせたところ、疫病はたちどころに終息したと伝えられる。

また天皇は、全国に枢要な神社を定め、幣帛を賜るなど、敬神を怠らなかったので、「崇神」というすばらしい諱(いみな)を贈られた。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.120.)

この話は、『古事記』中つ巻に出ています。崇神天皇は、悪性の流行病が起こったことを心配されました。ある夜、崇神天皇の霊夢に大物主(おおものぬし)の大神が顕(あら)れます。大物主の大神は、オホタタネコ(オオノタタネコ)に私を祀らせれば祟りは起こらず、国は安らかになると告げたそうです。

そこで、オホタタネコを探したところ、河内の美努(みの)という村におりました。オホタタネコは大物主の大神の子です。天皇は、オオタタネコを神主として大三輪の大神を祀らせました。

このように、天皇が身心霊を清め、霊覚や直覚を磨かれ、夢や冥想によってお告げを受け取っておられたのです。これは、まず巫女が神がかりになり、それによる情報(神意)を天皇が受けるという形式ではなく、霊夢によって天皇が直接神意を受け取る方法です。

それがお出来になったのは、崇神天皇は「魂ふりの行を日々行って身心霊を清め、自ら神意を聴こうと」されていたからです。「身心霊」、すなわち身体と心体が一つとなることで霊体が整い、それによって神意を聴くことが可能であったわけです。

崇神天皇には多くの事蹟が伝承されています。皇族の将軍(四道将軍)を北陸(北陸道)・東海(東海道)・西海(西道)・丹波(山陰道)の四地方に派遣し、全国統治を進めました。また、人口調査を行い、課役や租税の制度を定められ、潅漑用の溜め池を造っております。

まさに、大和朝廷SS(ソーシャルシステム・社会秩序)を誕生させた、「初国(はつくに)」を「知らす(領らす)」スメラミコトであったことが分かります。
(続く)