宮崎貞行著『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』には、盟友関係の3名が登場しています。昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏と、熱心な神道家で皇宮警察警務部長であった仲山順一氏、そして大和言葉・国学の師である河戸博詞先生です。
宮崎氏は同書の中で、3名の交流の実際について次のように述べています。
「河戸は、陸軍少佐として上海で終戦を迎え、戦後は日本精神の復興をめざし国学の研究に打ち込んでいた。彼は、明治大正期の古神道家、川面凡児の創設した社団法人稜威会(みいづかい)の理事をしており、その関係で会員の仲山とも懇意であった。山鹿素行の研究を行う素行会の幹事でもあり、明治神宮でよく研究会を開催していた。軍務の経験のある三上照夫とは、気心の知れた仲間であり、思想上の同志でもあった。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.229.)
河戸先生は元陸軍士官学校教官だったこともあり、指導者教育の必要性を強く説いていました。多くの国民を対象とする一般的教育とともに、優れた人物を生み出すための指導者教育をやるべきであると。だから、あなた(林)一人が政治家になることよりも、政治家を育てる先生になるほうが良いと諭してくれたことがありました。
「河戸先生に影響を与えた師はどなたですか?」と、何度か質問した記憶があります。そのお答えに出てきた一人が、禊ぎの行法を体系化した川面凡児(文久二年~昭和四年・1862~1929)です。
但し、「川面教学は学術ではなく宗教であり、霊魂の説明が細かすぎる」ところに難点があるとも述べていました。生命体の中心であるイクタマ(生魂)を基本に、もっと単純に説くべきだと(平成18年(2006)6月8日談、於:新宿)。
川面教学について、筆者は『川面凡児全集』や『祖霊垂示 霊魂観』を入手して読んでみました。同じ内容が繰り返し説明されており、細かくて難しいという印象があることは確かです。
それから山鹿素行について。素行は江戸時代前期の大学者で、その思想と生き方を研究する会が「素行会(そこうかい)」です。正確には「山鹿素行研究会」という名称でした。研究会は明治神宮内の研修室で開かれており、林も河戸先生からお誘いを受けて何度か参加しました。
その会の会長は、赤穂義士研究の第一人者である時代作家の佐佐木杜太郎という先生です。赤穂義士に思想的に影響を与えた人物が山鹿素行であることから、佐佐木先生は代表的な山鹿素行研究者となられました。
山鹿素行研究会は戦前、素行会という名称で存在し、やはり素行から深い影響を受けた乃木希典閣下が会長をお務めだったと聞きます。戦後になって素行会を復興するにあたり、「素行会では任が重いが、山鹿素行の研究会ならば…」ということで、佐佐木先生は会長をお引き受けになりました(河戸先生談)。
佐佐木先生は作家として著名な方で、そのご子息は、林の出身高校の国語科の教諭でした。林が入学したとき、既にご子息は他校へ転勤となっていましたが、居合道の道場で先輩・後輩(林)の関係となったことで懇意にしていただきました。(続く)