「万世一系の天皇家は神代から二百万年続いてきた」という話の続きです。
天下をさらに平和にしようと志された神武天皇は、九州の日向から大和へ向けて御東征されます。
まだまだ互いの抗争が絶えない我が国を、よく統(す)べよう(まとめよう)と志され、その中心地に、四方を青山に囲まれた美しい地である大和を選ばれたのです。
御東征にあたって神武天皇は、天照大御神の孫であるニニギノミコトが高天原(たかあまはら)から葦原中国(あしはらのなかつくに)に降臨されて以来、今に至るまで179万2470余歳(年)が経ったとお述べになりました。このことは、『日本書紀』巻三・神武天皇(即位前記)に出ています。
179万年すなわち約180万年前といえば、(猿人が進化した)原人(ホモ・エレクトス)が出現したとされる時期に重なります。原人は石器を作り、火を使用しました。飛躍した解釈になりますが、もしかしたら神武御東征の意味(原点)は、知恵を生かし、技術を用いて世界を進化させていくという、「人間としての使命」を顕現(けんげん)させるところにあったのかもしれません。
江戸時代初期の大学者であった山鹿素行は『中朝事実』の中で、この179万年説をもとに(したと考えられますが)、日本のはじまり(神代)から神武天皇に至るまで200万年が経過したと述べています。
山鹿素行の尊皇論を受け継いだのが、江戸時代中期の儒者である浅見絅斎(あさみけいさい、慶安五年~正徳元年1652~1712)です。そうして素行の教えは、絅斎、さらに水戸学を経て、やがて明治維新の原動力になっていきました。
尊皇心の強い浅見絅斎は、覇者である将軍を認めようとせず、幕府のある関東に立ち入らなかったそうです。また、各藩からの仕官の招聘(しょうへい)に応じることも無かったとも。
絅斎は、中国の忠臣義士の死に様をもとに『靖献遺言』という本を書きます。
この書は、吉田松陰先生が獄中(野山獄)で涙を流して読んだことでも知られています。幕末志士らの愛読書であり、特攻で散華された英霊たちも読んでおりました。
幕末の志士や特攻の兵士は、中国の偉人から覚悟を学んでいたのです。同書は戦後、すっかり忘れ去れてしまい、保守愛国の人たちですら知りません。愛国派まで欧米化していって東洋精神を失い、酷ければ中国思想を蔑む有り様です。
浅見絅斎の『靖献遺言』は、本連載が終わったのちの新連載として執筆したいと構想しております。(続く)