民生を安定させ、精神文化を向上させ、正しい統治の道を行くこと。そうして国民の暮らしを向上させることは、人皇初代・神武天皇の大御心そのものでした。昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏は、次のように述べています。
「戦後日本が採用したアメリカ型の民主主義は、統治の手段のひとつにすぎず、統治の理念、国家の目的ではないと三上は語っていた。いわれてみれば、なるほど、民主主義も三権分立も意思決定の手続きであり、手続きをどんなに精緻に整えてもそこから国家の存立と発展の理念が生まれるわけではない。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.253.)
制度や仕組みといったものは、目的を遂行するための手段や手続きであって、そこから理念や目的が生ずるわけではないと。順序として、まず「その国らしさ」に根付いた理想精神を明らかにし、そこから統治の方法を考えるのがいいというわけです。
そこで三上氏は、日本国統治の理念として、神武天皇のご精神に注目するよう促します。
「三上によれば、日本国の統治理念は日本書紀の巻第三に明示されているという。それは、神武天皇が日向の国を治めたときの基本理念であり、東征して大和の国を立国したときの理念であるという。」(同p.253.)
それが「蒙(くら)くして正しきを養ひ、(中略)慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ね、多(さわ)に年所(とし)を歴(へ)たり。」(『日本書紀』巻第三 神武天皇・即位前紀)というお言葉です。
三上氏の言葉が続きます。
「「徳を積み」とは民の生活を豊かにすること、「暉を重ね」とは、民の精神を向上させること、「正しきを養い」とは、正義にかなった統治をおこなうことを指すと解釈されている。神武天皇は、民生を安定させ、精神文化を向上させ、正しい統治の道を回復したが、わが国の建国の理念は、この三つに集約されているという。」(同pp.253-254.)
天孫降臨以来、こうして立派な政治が日向の地で行われたことがうかがえます。
さらに、日本国を広く統治するため、神武天皇は東征されることになります。
目指すは、畝傍山(うねびやま)の東南の地、橿原です。そこは、宮殿の造営に相応しい奥深い安居(安住)の地でした。(続く)