その23 一段上を観ることで、全体観を養っていく…

綜學は綜合學問の略です。何事に対しても綜合的に観、全体から観たときにどうなのかを考えてまいります。

では、綜医學は何でしょうか。綜医學は、綜學を代表する各論です。これも綜學が基本となっており、身心全体から健康を整えていくことになります。

身心を全体から整える。そのためには、人生や仕事にも綜合観を持つ必要があります。人生や仕事においても、次のように一段上を意識してみては如何でしょうか。

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その22 立志の前に見立てておくべき素志、それは人生の種や原点…

立志の前に見立てておくべきことがあります。それが、人生の種や原点にあたる「素志」です。

松下政経塾の五誓に「素志貫徹の事」という言葉があります。なぜ一般的な初志貫徹ではなく、素志貫徹なのでしょうか。それは、初志のもっと前に腹に据えておくべき原点(素志)があり、それを大事にして欲しいという松下幸之助塾長の願いがあったからでした。

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その21 立志によって、生命体の求心力が高まる!

大和言葉・国学の師匠である河戸博詞先生は、生命体について次のように説明されていました。

あらゆる有機体には、実在としての中心がある。生命体の場合、それをイクタマ(生魂)という。

イクタマを中心に、生命体として必要な要素が集まっており、それをタルタマ(足魂)という。タルタマは、満ち足りた玉(集まり)のことである。

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その20 時と量と質、これらの程良さに正しさや善がある…

「バランスの取れている状態が正しい状態」という沖ヨガ哲学と同様の見解を、江戸時代後期の佐藤一斎という儒学者が述べています。佐藤一斎は湯島聖堂(昌平坂学問所)の儒官(総長)として、孫弟子やひ孫弟子まで含めれば、約3千人もの幕末志士を育てた師でした。

一斎は、その著『言志録』の中で次のように述べています。(意訳:林)

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その19 人間は苦悩があるから進化する…

中国・明代の思想家である王陽明は、知ることと行うことは一つであるという、知行合一の行動哲学を唱えました。知ったことは行って初めて完成し、行うことは知ることがもとになっていると。また、知ったからには、それ(お知らせ)を自分へのメッセージ(我が事)として行うべきであり、行うからには、ちゃんと事実や情勢を知らなければ浮足立ってしまうことになります。

行うというのは、ヨガにおいては「行」となります。行の大切さを、沖正弘導師は次のように述べています。

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その18 バランスの取れている状態が、正しい状態…

沖正弘導師は語ります。誰もが正しさを求めるが、そもそも正しさとはどういう状態なのか。

「正しくありたいという願いをもたない人は、おそらくいないことと思います。しかし「正しく」という状態が、わかりにくいのです。正しさとは、どういう状態でしょうか。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.24.)。

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その17 病氣や悩み、困難や苦労を経て、私たちの心は磨かれていく…

自分がこの世に生まれ、こうして生きているのは、宇宙のために必要だからである。私たちは神、即ち大宇宙の生命原理に従って、そのお役に立てるような人間にならなければいけないと沖正弘導師は説かれました(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房pp.21-22.)。

生成発展、それによる進化と調和こそ、宇宙の原理でしょう。それを生かし、先頭に立って「宇宙の期待」に応えるのが人間の役割なのです。

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その16 自分たちにも間違いがあったということを、双方とも反省出来るかどうか…

組織や団体には、内紛が付き物です。集団内に何らかの対立が起きますと、同じ仲間同士であるにも関わらず、酷ければ非難の応酬合戦となります。そのとき、双方とも自分の側が正しく、相手側が完全に間違っているという態度を取ってしまいます。

そもそも物事というものは、右から見るのか、左から見るのかによって、全く違う景色が見えてきます。積極的な姿勢を見せれば傲慢だと文句を言われ、謙虚にしていれば逃げているなどと非難されてしまうようなものです。同じものを見ているのに、それを見ている者の意識によって、仏にも鬼にも見えてしまうわけです。

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その15 善悪、苦楽、損得、幸不幸、これらは注連縄のように織り成す一体のもの…

自分に適した救われ方は、結局自分で発見するしかない…。では、その発見のためにどうすればいいのでしょうか。それは、苦しみや楽しみを「与えられた教え」として受け止め、そこから自分の生き方や在り方を発見していくのが一番いいということになります。沖正弘導師の言葉から、それを学んでいきましょう。

「苦しみは、ありがたいもの、それはなぜ(か)、苦しみにせよ、たのしみにせよ、すべては神のお与えであり、神わざであり、宇宙の教であるからだ、正しければ、たのしみで教えていただける。誤っていれば、苦しみで教えていただける。どちらもありがたいものだ。」※(か)は筆者が加筆(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房pp.14-15.)

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その14 助けを求めて良いけれど、同時に自力で何とかすることも忘れてはならない

苦しいときや辛いとき、誰だって何かにすがろうとします。当然のこと、助けを求めて良いのですが、同時に自力で何とかすることも忘れてはなりません。

沖正弘導師によれば、救われ方には真実の救われ方と、そうでない救われ方があり、前者は自力で救われる在り方だそうです。

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