どんな学問研究にも、学統というものがあります。何を元に、誰がその学問を起こし、誰が受け継ぎ、どう発展させていったのかという系譜です。
全体学である「綜學」にも、元になる柱があります。「知」の文明法則史学、「情」の大和言葉(国学)、「意」の東洋思想がそれです。それぞれに師匠がおり、文明論は村山節(みさお)先生、国学は河戸博詞先生、東洋思想は安岡正篤先生です。また、綜學における経営思想の師に、松下幸之助塾長(松下政経塾)がいます。
これらの諸先生と出会いましたのは、河戸先生は林が18歳、村山先生は20歳、安岡先生も20歳頃、松下塾長は22歳のときでした。東洋日本思想家である林にとって、大切な師匠と青年期に立て続けに出会えたことは、本当に幸せなことでした。
さらに、大切な師匠がいます。綜學(綜合學問)の基盤形成を、思想的に導いてくださった沖正弘先生です。沖先生は、日本ヨガ会の草分け的指導者でした。
筆者が高校生であった当時、ヨガは変わったポーズを取るアクロバットくらいにしか思われていませんでした。奇異な目で見られていた、その認識の間違いを正したのが沖先生だったのです。
静岡県三島市に道場があり、その正式名称は「求道実行会密教ヨガ修道場」でした。沖先生からは、綜合的であることの必要性や、変化を起こしつつバランスを取ることの重要性を学びました。その出会いは、林が17歳(高校3年生)のときで、夏休みに一週間ヨガ修道場で鍛錬したときのことでした。
沖先生は、ヨガについて次のように述べています。
「とくにヨガに対する日本における誤解は全く甚しいものである。それではヨガとは何であるか。結論的にその意味を説明すれば知行合一の体験を通してすべてに自然性を追求することである。自然性とはバランスのとれていることであり、このバランスのとれている状態を、すべてのものの当然あるべき姿すなわち真実とみなすのである。そうして、この状態を解脱すなわち無の状態と形容しているのであり、ヨガはこの解脱を目標として心身霊生活及び環境の五者一如の立場から求道する綜合的修行法であり、その方法はバランス維持という自然法則にのっとっているものであると定義づけることができるのである。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房)
この文に、ヨガにとって大切な在り方が示されています。それを列記してみます。
・知ることと行うことは一つであり、体験が重要である。
・ヨガは自然性を追求するが、自然性はバランス維持の働きにある。
・バランスの取れている状態が、物事のあるべき真実の姿である。
・バランスが取れていれば偏りの無の状態に至り、それが解脱となる。
・心・身体・霊体・生活・環境の五者を、綜合的に求道し修業すべきである。
如何でしょうか。この内容から、変わったポーズを取るとか、痩せるためとかいったヨガに対する一般的な通念とは随分違うということが感じられると思います。
そもそもヨガには、「結ぶ」「つなぐ」「関わり合う」といった意味があります。
文明とともに分断され、バラバラになってしまった心・身・霊、さらに生活と環境。これらを今一度結び直すことでバランス維持の働きを再生させていくところに、沖ヨガそして綜医學の目的があるのです。(続く)