天皇陛下のお歌を御製(ぎょせい)と言います。そこには、天皇という御位(みくらい)から発せられる「国家と国民を思うお氣持ち」が表されており、それを大御心(おおみこころ)と言います。
歴代天皇の御製を数首ご紹介しましょう。
第八十二代 後鳥羽天皇
「夜(よ)を寒みねやのふすまのさゆるにも藁屋の風を思ひこそやれ」
寒い夜となり、寝室の布団が冷えるにつけ、人々が住む藁葺き屋根の家に吹く風の、その冷たさが思われてなりません。
第九十六代 後醍醐天皇
「世治まり民安かれと祈るこそ我身につきぬ思ひなりけり」
世の中が平安に治まり、国民が安心して暮らせるよう祈ることが、私にとって尽きることの無い思いです。
第百四代 後柏原天皇
「いかにせば日月(ひつき)と同じ心にて雲の上より世を照らさなむ」
どうすれば太陽や月と同じ心となって、雲の上から(雲の上からであっても)世の中を照らすことが出来るでしょうか。
第百二十二代 明治天皇
「とこしへに民安かれと祈るなる我世を守れ伊勢の大神」
永遠に国民が平安であれと祈ります、伊勢の大神様、どうか我が治世をお守りください。
後鳥羽天皇は、鎌倉幕府が混乱する中、政治を正そうとして幕府打倒の兵を挙げました。結局、幕府軍に敗れましたが、挙兵の目的は国民の平安のためだったのです。
後醍醐天皇は、鎌倉幕府を打倒して天皇親政の政治を興されます。これを「建武の中興」と言います。足利尊氏に敗れた後は、吉野に南朝を開き、皇位の正統性を保たれました。
御柏原天皇は、応仁の乱という混乱期の天皇様です。公卿らは地方に離散し、朝廷の財政は逼迫。その混乱は、即位の礼を行うまで21年間待たねばならないほどでした。
明治天皇は、武家政治から本来の天皇政治へ戻るという大変革期に、国家と国民を精力的に指導されます。そして、西欧列強によるアジア侵略が進む危機にあって、有色人種初の近代国家である大日本帝国を統治あそばされました。
どの天皇様も、政治が不安定であるにも関わらず、だからこそ常に国民の暮らしを心配されていたのです。歴代の天皇陛下が「常に公正無私の立場に立ち、人とはどうあるべきかを身を以て我々に示して」くださったというのは、まさにこういうことだったのです。
「それによって、国民は己の立場に於いて『人らしく生きる』とはどういう事かを常に顧みる機会を得、自らもかくあろうとすることができた」というのも自然なことでしょう。
本連載「やまとことば国学の師・河戸博詞先生と「日本人の霊性」」は、これで終わります。霊性を高めるということは、日本人にとって当り前の在り方であったということが、よくお分かりいただけことと思います。
最後までご覧くださり、誠にありがとうございます。
次回から、日本ヨガの草分け的指導者であった沖正弘導師の教えについて、改めてそのご著書をもとに、綜医學の解説を絡めながら述べてまいります。
どうぞご期待くださいませ。 頓首