林英臣が講義する講演会・勉強会です。お気軽にご参加いただけますので、是非ともお運びを!関東→中部→関西→中国→四国→九州の順になっております。なお、隔月開催などの会は、10月以降の案内になっている場合がありますのでご注意ください。
また、開催日時・場所・内容が、予告なく変更される場合があるほか、天候や交通の事情によってオンライン開催となる可能性もあります。
念のため問い合せ先にご確認の上、ご参加ください。
☆印は連続の勉強会、★印は単発の講演会です。
その16 自分たちにも間違いがあったということを、双方とも反省出来るかどうか…
組織や団体には、内紛が付き物です。集団内に何らかの対立が起きますと、同じ仲間同士であるにも関わらず、酷ければ非難の応酬合戦となります。そのとき、双方とも自分の側が正しく、相手側が完全に間違っているという態度を取ってしまいます。
そもそも物事というものは、右から見るのか、左から見るのかによって、全く違う景色が見えてきます。積極的な姿勢を見せれば傲慢だと文句を言われ、謙虚にしていれば逃げているなどと非難されてしまうようなものです。同じものを見ているのに、それを見ている者の意識によって、仏にも鬼にも見えてしまうわけです。
その15 善悪、苦楽、損得、幸不幸、これらは注連縄のように織り成す一体のもの…
自分に適した救われ方は、結局自分で発見するしかない…。では、その発見のためにどうすればいいのでしょうか。それは、苦しみや楽しみを「与えられた教え」として受け止め、そこから自分の生き方や在り方を発見していくのが一番いいということになります。沖正弘導師の言葉から、それを学んでいきましょう。
「苦しみは、ありがたいもの、それはなぜ(か)、苦しみにせよ、たのしみにせよ、すべては神のお与えであり、神わざであり、宇宙の教であるからだ、正しければ、たのしみで教えていただける。誤っていれば、苦しみで教えていただける。どちらもありがたいものだ。」※(か)は筆者が加筆(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房pp.14-15.)
立て直しの心得
こんにちは。残暑お見舞い申し上げます!
◆綜医學講座(第18回)のご案内
演題:綜医學の原理と「大和言葉の霊魂観」(其の一)
・身心一如の生命体論を「霊魂観(ミタマ)」という
・ミタマは御霊・御魂と書かれるが、身玉・実玉であることに注目せよ
・ミタマは身心一如となって成立している
・肉体はアラミタマ、精神はニギミタマ、両者が一元となってミタマとなる
・ミタマは生命の本質そのものとして、生理作用+精神作用を起こしている
・肉体に片寄る唯物論、精神に片寄る唯心論、どちらも部分観で限界がある
・霊魂観は生命観と同義であり、綜医學では肉体の鍛錬を軽視しない
・ミタマ=生命体の中心を司るのがイクタマ(生魂) 他
その14 助けを求めて良いけれど、同時に自力で何とかすることも忘れてはならない
苦しいときや辛いとき、誰だって何かにすがろうとします。当然のこと、助けを求めて良いのですが、同時に自力で何とかすることも忘れてはなりません。
沖正弘導師によれば、救われ方には真実の救われ方と、そうでない救われ方があり、前者は自力で救われる在り方だそうです。
日本国の大方針、即ち国是や国家目標が問われる選挙となる!
こんばんは。今日は旧(本暦)七夕です。
【ご案内】常人から超人へ! 綜医學講座(第17回)
演題:綜医學の原理と「大和言葉の超人観」
超人は、鋭敏な感覚・感性・感情を持ち、霊感や予知能力を発揮することもあります。一流の志士や天才などの超人は、非常時に発揮される能力を日常的に発揮していました。綜医學講座で育成される国手も、超人となって手当てで「氣」を出し、相手の身心を整えてまいります。
その13 仕事場が即道場、生活が即修養であるという生き方…
生活がそのまま修養法となり、そのまま健康法となるところに、沖ヨガの基本があります。
「ヨガは理論の宗教ではない。修行の宗教である。即ち生活行法をそのまま宗教とみているのである。起った現象、与えられた縁をそのまま神の恵み神のみ教えと受け取り真理を学んでそれを活用するのである。病をして健康法たらしめ、迷いをして悟りへの道たらしめる。これがヨガ的生き方である。」
(1974沖正弘『ヨガ叢書第一巻 ヨガに生きる』霞が関書房p.14.)
益荒女(マスラメ)講座に傑女が集結!
こんにちは。本日は二十四節氣の「処暑」。高野山では奥之院萬燈供養会です。
◆日記(8月11日~12日)
・11日(火)アマテラス益荒女講座で講義、マスラメは勝る女!
・12日(水)橿原考古学研究所付属博物館で、天武天皇・持統天皇の時代を学ぶ
その12 自分で立とうとする人のもとに「助け手」が現れる…
お前が自分のことを諦めたとしても、この俺はお前の可能性を諦めてはいない…。この沖正弘導師の言葉には、相手の内に眠る「その人自身を救う力」を、私は決して諦めてはいないという意思が込められています。
続けて沖導師は、自分の内なる力を信じよと語ります。




