其の四十一 戦前、昭和天皇は「この法案で国民が幸せになるのか」と質問されていた…

立憲政治が行われる中で、戦前の昭和天皇は、どうのように政治家を戒められたのか。これについて、宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、次のように述べています。

「戦前の天皇は、内閣から意見を求められない限り、政策の当否についてご自分の意見を発することは認められていなかった。それが立憲主義の原則と教えられていた。ただし、質問権だけは持っていた。昭和天皇は、しばしば「この法案で国民が幸せになるのか」と質問し、そのたびに補佐する担当大臣たちは震えあがった。「政党の馴合いでやむを得ず決めました」、「陸海軍の腹の探り合いで妥協して決めました」というわけにはいかなかったのである。戦後は、その質問権もなくなり、可決された法律に御名、御璽を押すだけの象徴天皇になってしまっていた。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとpp.239-240.)

戦前の政治家たちは天皇陛下の前で恐れおののき、指導者としての自分の在り方を反省していたということ。そうであるがゆえに、天皇は政治に対して率直なご意見を述べられるべきであり、そうでなければ君主制の意味が無いということについて、林は二十代の頃、大和言葉・国学の師である河戸博詞先生から事あるごと教えていただきました。

昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏の発言を受けて、河戸先生は「なるほど、そうすると、党利党略の政党政治にタガをはめる勅語があってもよいという話になるね。私利私欲の権化である政治家をいかに黙らせ、反省させるか、それは天皇にしかできないことだ」と語ったのだそうです。

さらに河戸先生は、閣僚や政党の腐敗に意見するため、「都道府県知事や有識者からなる天皇の諮問機関を作り、勅語についてアドバイスするということはどうかね」(同p.241.)とも言われました。

これに三上氏は、「衆議院のコピーと成り下がっている現在の参議院を、天皇に進言する枢密院的なものに変えてはどうですかな。

(中略)天皇に政治権力を持てとは言いません。道徳的および霊的権威で十分ですが、ただ宮城(皇居)で静かにお祈りされるだけでなく、その祈りの過程で得られた叡智を勅語の形で発することが求められていると思います。これが君民共治のあり方ではないでしょうか」(同p.242.)と述べています。

氣心の知れた三上氏を相手に、河戸先生は益々饒舌(じょうぜつ)になります。
(続く)