21世紀の「人類の危機」を救うカギが東洋にあるという啓示を受け、居ても立ってもいられなくなった私は、高校3年生のときに一週間だけ、静岡県三島市にある沖ヨガ修道場で鍛錬しました。そこでの研修で、人類を救う思想と方法が、沖ヨガにあると確信します。そこで、高校を卒業したら大学には行かないで、そのままヨガ道場で長期修行をしてやろうと思いました。
親からしたら、一体全体何を考えている息子なのか分かりません。心配した母親は、ヨガもいいけど、それだけでは食べていけない。その前に、身を立てることの出来る資格や技術を身に付けなさいとアドバイスをくれました。それで、東洋を学ぶなら鍼灸医学がいいということになり、その方面の専門学校を探し、東京都新宿区四谷にある鍼灸学校に進学することになります。
その専門学校は、東洋医学の学校の中で日本有数の歴史を持ち、大正15年(1926)の創立時の名称は「東京温灸医学院」です。筆者が入学した頃の学校名は「東京高等鍼灸学校」で、在学中の昭和51年(1976)に校名が変更されて「東京鍼灸柔整専門学校」に、さらに卒業後の昭和61年(1886)に「東京医療専門学校」となりました。
校名はその後も変わり、令和6年(2024)からは「東京呉竹鍼灸専門学校」となっています。学校名が何度も変更されましたが、「東京」が付いているところに一貫性があるようです。
試験日、沢山の受験者が来ていて驚きました。特に鍼灸と手技療法の両方が学べる本科は、なかなかの人氣です(倍率は約7倍)。そもそも滑り止めなんて不要と思っていたので、この学校しか受けていません。もしも不合格なら、一番行きたかった沖ヨガ道場に入ればいいだけのこと、というくらいに思っていたようです。
それでも何とか合格し、下宿先も見付けて東京での生活が始まります。昼間は専門学校、放課後は居合道や空手道などの稽古、夜は治療院でのバイト(インターン)です。休日は国学(大和言葉)の講座を受講し、その先輩宅に頻繁にお邪魔しては学びを深めるという毎日でした。
東洋医学の専門学校に進学するにあたって、父親はある条件を出してきました。
それは、他の同級生とは違う道を選択したのだから、勉学で怠けることは許されない。しっかり励み、3年間学科も実技も全部首席で通しなさい、というものでした。
しかし、入学してみると、何を学びたいのか決まっている生徒の集まりだけに、とても勉強熱心な人たちばかりです。どうやら父との約束を守るのは簡単なことではないなと氣付きました。(続く)