ところで、軽はずみに「男女の違い」を論じられない世の中となりました。昨今では「男は男らしく」、「女は女らしく」という教訓は、封建的時代の遺物として禁句になっているようです。
それでもやはり、男性と女性には、それぞれの特性というものがあるのではないでしょうか。人間として見れば、男女は殆ど同一です。しかし、大きく比べれば、やはり違いがあると。
例えば「ものの見方」において、男性が客観的論理性に長けているのに対して、女性は主観的感受性に秀でているという見方が一般的です。傾向として、男は女よりも理屈を重んじ、女は男よりも感覚を大切にいたします。
内掌典は、まさに女性が持つ感性や主観力を生かすことで、側近として天皇を助けてきた巫女なのでしょう。霊的な感受性を働かせる役目は、女性のほうが向いているというわけです。
考えてみれば、内掌典は宮中三殿にだけに存在しているのではありません。経営者の補佐役の中に、感性や霊性を働かせることで社長を助ける女性秘書がおれば、それは会社の内掌典であると言えます。相撲部屋の中に、感性や霊性を働かせることで親方を助ける女将さんがおれば、それは相撲界の内掌典となっている可能性があります。
そうやって、多くの女性たちが与えられた場で、その優秀な感性や霊性を生かしつつ、内掌典的な役割を果たしてきたのではないかと思うのです。
男性が客観的で女性が主観的であるという話は、両者を二元対立的に分断するのが目的ではありません。実際には、男性にも主観力や直感力があり、女性にも客観力や分析力があります。あくまで、論理的理屈と直感的感性の、どちらを優位に置いて思考し、物事を把握しがちであるかを論じているという次第です。
男女であれ何であれ、違いに存在価値があるのであり、違うから助け合えます。
違いを差別の元にするからいけないのです。違いを無くすのではなく、違いを認め合い、尊敬し合い、生かし合うことが重要です。(続く)