其の二十三 山中で修験を積んだ山伏行者らが、人々の相談に乗り、治療もしていた…

飛鳥から奈良にかけての時代は、律令国家建設による希望と力強さを持つ反面、中央の政治は随分混乱しました。道教事件も、その一つです。悪僧の道教は、野望を抱いて皇位にまで即こうとしました。

そのとき、優秀な政治家である和気清麻呂公は、宇佐八幡宮のご神託により、道鏡の野望を阻止したという史実があります。このときのような重要な問題に際して、奈良平安時代の朝廷は、宇佐八幡宮に使者を派遣しては神意を伺っていたようです。

宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、次のように述べています。

「奈良、平安の朝廷は、戦乱や疫病、飢饉などに直面したとき、しばしば宇佐神宮に宇佐使を派遣して、神意を問うてきた。

民間でも、病気治しや困りごとの相談は、イタコ、ミコ、ノロ、行者などと呼ばれる各地の霊能者が引き受けていた。なかでも、山中で修験を積んだ山伏行者の活躍は目覚ましかった。彼らは神降ろしを通じて祖霊の消息を伝え、困りごとのの解決策を授け、医師の代わりに薬草を処方し、加持祈祷を行って病気を治癒しようとした。もちろん、詐欺まがいの行者が少なからずいたことも事実である。

ところが、文明開化路線を採用した明治政府は、こういった風習は科学的根拠のない迷信の類と考え、明治五年に修験道禁止令を発布したので、十七万人いた山伏たちは失業してしまった。」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとpp.112-113.)

「病気治しや困りごとの相談」を引き受けるという霊能者の役割は、現代では治療家や心理療法師の仕事に重なるところがあると言えます。そして、霊能者の能力は、天分(天来の能力)であると同時に、厳しい修行や修験の賜物として得られたものでもありました。

霊能者は、イタコ、ミコ、ノロ、山伏行者などと呼ばれていました。イタコは、東北地方(特に青森県)の巫女で、使者の言葉を生者に伝える霊媒師です。
ノロは、琉球神道における、神々や祖霊と交信する女性祭司のことです。

霊能力を発揮していた者たちの中で、近世頃まで国民を助けていたのが「山中で修験を積んだ山伏行者」なのだそうです。その活躍は目覚ましく、「彼らは神降ろしを通じて祖霊の消息を伝え、困りごとのの解決策を授け、医師の代わりに薬草を処方し、加持祈祷を行って病気を治癒しようとした」というのですから、神官、カウンセラー、アドバイザー、医師、治療家、薬剤師などの役割を綜合した「国民の救済者」であったわけです。

しかし「詐欺まがいの行者が少なからずいたことも事実で」あり、「明治政府は、こういった風習は科学的根拠のない迷信の類と考え、明治五年に修験道禁止令を発布した」ため、「十七万人いた山伏たちは失業してしまい」、神職に転職したり帰農したりしたようです。

裏返して言えば、数多い行者などの霊能者たちが、国民の生活を支えていたということになるのではないでしょうか。(続く)