欧米の心霊学では「通常、人には七柱の背後霊がついて」おり、「それを統括しておるのがマスタースピリット」と呼ばれる主護霊である。宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏の言葉として、そのように述べている(p.107.)。
七柱は、多くの念子体が人を守っているということを表した数と考える。誰にでも沢山のご先祖が存在しているのだから、念子体は一つや二つではなく沢山あるのが自然だ。
そうして七柱の背後霊(的な存在)、すなわち多数の念子体が存在する中で、最も強力な念子体が主護霊(的な存在)となって、その人を指導していくものと考える。我々は、何でも自分で考え、自分で判断していると思い込んでいるが「実際は、主護霊や背後霊などいろいろな神霊に指導されつつ行っている」のであると(同pp.106-107.)。
さて、念子というものにもレベルがある。愛や慈しみによる「明るい念子」があるかと思えば、怒りや怨み、悲しみや無念などをもとにした「暗い念子」も存在している。後者はマイナスの念子であり、祓い清めて善念子に浄化する必要があるのだが、それを忘れていると世の中に悪影響を及ぼすことになるらしい。
いわゆる輪廻転生は、おおむねマイナスの念子に同調したことで起こった現象ではあるまいか。“浮遊”している強力なマイナスの念子を、感受性強い子供などが受信してしまえば、念子体となって“その子を通して過去生を語り出す”ことになるものと想像する。
また、マイナスの念子は悪念子となって、人を病氣にさせる場合がある。「悪い因縁の霊に憑依されて病気になる人」がいるというのがそれだ(同p.107.)。
とにかく、そのようなプラスの念子からマイナスの念子に至るまで、多くの念子体によって我々の人生は左右されているものと考える。そのため「一人一人の人間は、本来的に自由な存在ではないと」いうわけである(同p.107.)。
しかし、人間はそうした目に見えない力に操られ、翻弄(ほんろう)されているだけの存在ではあるまい。あくまで主役は、今生きている人間だ。大和言葉・国学の師である河戸博詞先生は、同じ人格がそのまま生まれ変わるようなことは無く、「常に今が大事で、いま自分が生きているという事実が重要。そうでなければ意味が無い」と教えてくださった。(続く)