其の三十四 国民の総意とは、今生きている国民だけの総意ではない…

大和言葉・国学の師である河戸博詞先生の盟友で、天皇の国師としてご進講役を務めていた三上照夫氏が、憲法と主権について次のように述べていたそうです。

「第一条で、天皇の地位、皇位は『主権の存する日本国民の総意に基づく』とありますが、この規定だと、現在の有権者の過半数が否定すると、天皇の地位は無くなってしまうという解釈になるおそれがありますね。憲法学者の中には、現在選挙権を有する者の多数決で、天皇を認めるも認めないも、国民の自由だ、権利だと主張する学者もあるが、これは決して正統な解釈とはいえません」(2018宮崎貞行『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』きれい・ねっとp.230.)

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其の三十三 政治家になるよりも、政治家を育てる先生になりなさい…

宮崎貞行著『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』には、盟友関係の3名が登場しています。昭和天皇のご進講役であった三上照夫氏と、熱心な神道家で皇宮警察警務部長であった仲山順一氏、そして大和言葉・国学の師である河戸博詞先生です。

宮崎氏は同書の中で、3名の交流の実際について次のように述べています。

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其の三十二 欲に囚われている自我を捨て、霊覚を磨いていく…

宮崎貞行氏によれば、三上照夫氏は「より高級な霊体と交流するには、それなりに我を捨てる修行を積み、霊覚を磨いて己を整えておかねばならない」と述べたとのことです。三上氏は、昭和天皇のご進講役であり、大和言葉・国学の師、河戸博詞先生の盟友です。

「霊体」には、既にこの世を去った偉人や英傑が残した霊体(念子体)の場合と、今生きている人が起こす霊体の場合があると先述しました。従って、「高級な霊体と交流する」というのは、既に亡くなった人の霊体が相手のときと、今生きている人の霊体が相手のときとがあると思われます。

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其の三十一 霊感や霊性は、決して迷信ではない!

霊感や霊性、霊界や神界…。これらの言葉を日常的に聞くことは殆どなく、その不思議な内容は「あり得ない現象」としか思えないため、拒否したくなる人がいるはずです。分析的な思考によって、根拠や物証を重視する近代科学にあっては、霊感や霊界といった話題は、子供だましの迷信の類(たぐい)として敬遠されても当然です。

でも、霊感や霊性は、決して迷信ではありません。ピンときて目に見えない変化を察知したり、胸騒ぎがしてまだ起こっていない事件から逃れられたりするといったことは、少なからぬ人が経験しております。

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其の三十 行で磨かれた感覚力は、科学的機器のセンサーよりも精密!

インド、中国、日本の思想や信仰は、瞑想行や静坐行、鎮魂行などを伴います。
これらは、いずれも呼吸法を使う心身統一の行で、それによって直覚や直観を高めてきました。行で磨かれた感覚力は、決して迷信などではなく「科学的機器のセンサーよりも精密」であるとのことです。

その感覚力が、さらに鋭敏になれば霊感が生ずることになります。東洋における「シャーマニズムの伝統のある地域では、神々の神託を受け取る霊媒のセンサー」は、「本来的に人間に備わって」いる能力と受け止められてきたのです。

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其の二十九 目に見える身体だけが、本当の自己ではない…

そもそも「自己」とは何であり、どこまでが自分なのでしょうか? 目に見える身体だけを自己とする考え方がありますが、それが全てでしょうか? 結論を言いますと、一般的に東洋日本思想においては、身心霊を綜合的に観ていかないと本当の自分は分からないとしています。

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其の二十八 違いに存在価値があるのであり、違うから助け合える…

ところで、軽はずみに「男女の違い」を論じられない世の中となりました。昨今では「男は男らしく」、「女は女らしく」という教訓は、封建的時代の遺物として禁句になっているようです。

それでもやはり、男性と女性には、それぞれの特性というものがあるのではないでしょうか。人間として見れば、男女は殆ど同一です。しかし、大きく比べれば、やはり違いがあると。

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其の二十七 宮中祭祀のみを仕事とする、神職と巫女を兼ねた女性たち…

天皇は最高の神主として、宮中祭祀を執り行われます。それを巫女として補佐するのが、「内掌典(ないしょうてん)」と呼ばれる女性の内廷職員(現在は5名)です。内掌典は、宮中における祭祀のみを仕事とする女性のことで、神職と巫女を兼ねた存在です。

内掌典がつとめる場所は、宮中祭祀が行われる「宮中三殿」です。宮中三殿は皇居吹上御苑に鎮座するお社の総称で、「賢所(かしこどころ)」、「皇霊殿(こうれいでん)」、「神殿(しんでん)」のことです。

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其の二十六 モノ(物)とココロ(心)は、もともと不即不離であって分けられない…

あらゆる存在は、物心が一如となって成立しています。モノ(物)とココロ(心)は、もともと不即不離(ふそくふり)であって分けられません。

それなのに、なぜ物と心に分けたのでしょうか。それは、目に見えるものをモノ、見えないものをココロと呼び分けることによって、存在をより的確に捉えようとしたのです。便宜上、視覚など五感に触れるものをモノ、五感に触れないものをココロと表現することで、存在の「あるがまま」をより正確に掴んできたというわけです。

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其の二十五 崇神天皇と大三輪(おおみわ)伝説~霊覚によって直接神意を受け取る…

霊覚や直覚を働かせていたという第十代の崇神天皇の事蹟について、宮崎貞行氏は『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』の中で、次のように述べています。

崇神天皇は「非常に敬神の念の篤い天皇で、治世に当たっては、太古から伝えられた魂ふりの行を日々行って身心霊を清め、自ら神意を聴こうとした。古事記によると、疫病がはやり、人民が次々倒れていくのに心を痛めた崇神帝がお祀りをしていたある夜、オオモノヌシの大神が現れ、「オオノタタネコをもって吾を祀らせれば、天下太平になる」というお告げが耳に聞こえた。そこで、神官オオノタタネコを探して三輪山に大三輪の神を祀らせたところ、疫病はたちどころに終息したと伝えられる。

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