やまとことば国学の師・河戸博詞先生に、同学の友つまり「朋友(ほうゆう)」がいた。それが三上照夫氏である。『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』という本によれば、三上氏は「天皇の国師」というべき人物で、昭和天皇の相談役を務めていたという。
同書の著者・宮崎貞行氏は、三上氏について次のように紹介している。
やまとことば国学の師・河戸博詞先生に、同学の友つまり「朋友(ほうゆう)」がいた。それが三上照夫氏である。『天皇の国師 賢者三上照夫と日本の使命』という本によれば、三上氏は「天皇の国師」というべき人物で、昭和天皇の相談役を務めていたという。
同書の著者・宮崎貞行氏は、三上氏について次のように紹介している。
大和言葉の師匠である河戸博詞先生は、国学者の家に生まれたと聞く。
先生は、国学ばかりでなく、漢学や西欧思想にも通じておられた。
学歴として、陸軍士官学校を首席で卒業されているから大変な秀才だ。
陸軍将校への指導が先生の任務であり、帝王学にも長けておられた。
松下政経塾には、「アホでもかまへんから、林を採っておくように」という松下塾長の「鶴の一声」で入らせてもらった。政経分野の俊才揃いの中で、私は鍼灸の勉強しかやっていないのだから、塾長の一声がなければ合格は不可能だったろう。
入塾してしばらく経った頃、国学の師である河戸博詞先生が、わざわざ松下政経塾を来訪してくださった。河戸先生のお仕事の事務所は東京の新宿、本宅は神奈川県の二宮にあり、その中間の茅ヶ崎に松下政経塾があった。
松下政経塾には第1期で入塾した。最初の塾生である以上、先に受験している先輩がいない。従って、いわゆる受験対策が分からない。何を勉強しておいたら、合格に向けて役に立つのか全く不明である。
そこで、ここは意識を深めておくしかあるまいと思い、自分の進むべき道を覚った場所である「釈迦の霊泉」に急遽行くことにした。上野から鈍行列車を乗り継いだため大幅に時間がかかり、夜になってやっと到着。
群馬県の山奥、月夜野町にある一件宿の温泉「釈迦の霊泉」。筆者はそこで開かれた、とても小さな合宿に参加し、それ以来、次々に大切な師を得た。
大和言葉の師である河戸博詞先生からは国学を学び、文明法則史学を大系化された村山節先生からは東西文明の壮大な交代を学び、陽明学の大家である安岡正篤先生からは東洋思想の神髄を学ぶことになったのだ。
「21世紀は人類にとって大変な時代になる。しかし大混乱を救うカギが東洋にある。これからお前は東洋を学べ」。
これは筆者が高校2年生(17歳)のときに受けた「天からのメッセージ」で、このときから「東洋」を綜合的に学ぶことになる。
・米ソを背後から動かしている勢力がある…
・運用システムが筒抜けの自衛隊では、日本を守れない…
・自民党以外に、新たな保守政党を興さねばならない…
・食糧危機に備えて、米の生産に力を入れるべきである…
・東洋医学を生かした綜合医療が必要となる…
・国民運動を起こして日本を根本から変えねばならない…
・国民運動にも新しい政治活動にも、その基盤に哲学思想が不可欠…
「林君、滝行をやる合宿に行かないかい?」
声をかけてくれたのは、鍼灸指圧専門学校の同級生である窪田耕二さん(当時36歳)。窪田さんは、東京の確か中央区か江東区あたりで自然食品店を営んでおられた。自然食と東洋医学が日本人を救うという信念から、専門学校に入学されていたという。