佐賀県にある吉野ヶ里遺跡に行かれたことがあるだろうか。そこでは、日本の国柄(くにがら)の祖型を見ることが出来る。弥生時代の水田稲作によって人口が増え、集落(ムラ)が興り、それが集まって一つのクニが形成されていく様子を感じ取ることが出来るのだ。
吉野ヶ里遺跡には、復元された建物群がある。その中で、最大規模のものを「主祭殿」と呼ぶ。その最上階は祭祀の間で、その下が政治の間となっている。
祭祀の間では、司祭者である巫女(みこ)や神官が、神々や祖霊から「お告げ」を聞いている。政治の間では、国主(くにぬし)を中心に、ムラ長(をさ)たちが集まって会議を開いている。そういう情景が、等身大の人形を使って表現されているのだ。
勿論それらは、推測しながら再現したものであろうが、見ていてなかなか興味深い。政治において、「今生きている者たちの暮らしが第一である」というのは当然のことであるものの、宇宙(あま)や天地(あめつち)、大自然や人間以外の動植物たちとのつながりも忘れてはならない。
宇宙、天地自然、衆生。それら一切のものの意思を「神々の声」として、霊感が強く働く巫女や神官たちが、まずよく聞く。そして、そのお告げを国主が受け取る。その上で、ムラ長たちと協議し、より良き政治が行われていたのだろう。
古来、世界中の政治が、概ねそうして行われてきた。(狭い意味での)人間を中心とする政治では、どうしても支配欲や金銭欲がぶつかり合って次元が低下してしまう。そこで、神々や先祖霊の願いや思いを受け取ることによって、政治が私利私欲に囚われることなく、「公(おほやけ)」を中心に進められていくよう次元上昇への注意が払われてきたのだ。
まさに、大宅(おほやけ)は公(おほやけ)に通じる。大きな建物である大宅の、祭祀の間で神々や先祖の意思を感受し、政治の間で公に関する課題を話し合う。遺跡の主祭殿が、そういう場として復元されていることに感心した次第である。
そこに、「まつりごと」は祭(まつりごと)であると同時に、政(まつりごと)でもあるということの意味がある。
無論、そういう祭政一体の政治にも、権力闘争が生じ、腐敗も起こるだろう。
しかし、人間中心による我欲に満ちた低次元の政治を超え、清廉で公利公欲に立ったものとなり得ることは間違いあるまい。
日本は、神代に起こされた高次元の「まつりごと」を、現代に至るまで受け継いでいる国だ。そこで、天皇陛下と宮中祭祀、それに基づく「天皇の権威」というものについて、さらに考察を進めていこう。(続く)