其の七十四 見えない世界(深い原点)とつながっている自分を信じよう!

沖導師は、「くつろぎ、あがらないために必要なものは何かといえば、無心無体になる練習をすることである」と教えます。「無心」とは、何かに没入・没頭することによって、心に迷いや囚われが無い状態のことです。

また「無体」は、身体が丹田(ヘソの下あたり)という中心に統一されていて、上半身に余分な力が入っていない状態のことです。言い換えれば、調子が良いことによって「体を感じない」状態のことだとも言えます。重いとか、だるいとか、痛いとかいった、違和感の無い様子がまさに無体でしょう。

では、どうすれば無体になれるかというと、その「ために必要なことは、摂生によって良い血をもち、よく訓練された神経と筋肉とをもち、コントロールできた呼吸をもつこと」なのだそうです。食事と運動と呼吸によって、血液・神経・骨格・筋肉などが整っていけば無体になれるというわけです。

そして、「無心無体の境の把握者になろうとするには、ただひたすらに努力をしなければならない」と。その事を一所懸命やったからといって、それで金儲けしたいわけでも偉くなって出世したいわけでもありません。ただひたすら、寝ても覚めても心身を一事に向かわせ、努力と工夫を重ねていけばいいとのことです。

誰かから「なぜそこまでやるの?」と問われても、(原点である)何かに背中を押されてやっているだけで、実は自分でも分からないというのが本当のところでしょう。自分の背中を押しているのは、天や神仏かもしれないし、ご先祖かもしれません。祖国や故郷の基底文化かもしれません。とにかく、そういう何らかの見えない世界(深い原点)とつながっている自分を信じることが大切です。

武道やスポーツは、その無心無体となるための、きっかけとなる場となります。それを「道」と言い、商売も損得を超えた「人生の修養の場とする時」に「商道」となってまいります。(続く)