其の七十六 丹田を中心に体幹が整い、中心力や統一力が生まれる

見るときには全身で見る、感じるときも全身で感じる。そうして、余分な力を抜きつつ、全身(統一された心身)で動作・対応出来るようになっていくことを上達といいます。

「考えていても駄目である。研究し、工夫して、練習を重ねる。そうして自分の心身をそれに適するように育てあげてゆく。これ以外に道にかなった奥義到達の方法はないのである。

早い球を打ちたければ、早い球になれる工夫をする以外はないように、いい音を出したければ練習をかさねていい音をつかまえるほかはないのである。大いにもがくことである。求道のためのもがきこそ生きる喜びではなかろうか。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房75頁)

上達するには、ただ考えてばかりいたのでは駄目で、動きながら研究し、試しながら工夫し、繰り返し練習を重ねる必要があります。そうすれば、次第に心身が一つになり、奥義到達への道が開かれてまいります。

野球やテニス、卓球などで相手の速い球を打ちたければ、練習によってそれに慣れるよう工夫するしかありません。楽器演奏でいい音を出したければ、練習を重ねていって、いい音を体得するしかありません。

無論、一朝一夕でそうなれるわけではありませんから、もがき、嘆き、悩みつつ道を求めていくことになります。この「道を求める」という「求道」の生き方に、一歩一歩成長していく喜び、即ち「生きる喜び」というものがあるのです。

そして、修練を積むことで、瞬間の動き(体さばき)や一瞬の出足というものが養われます。それによって勝負に勝つことが可能となるのですが、それには「身構え」と「呼吸法」が必要になると沖導師は教えます。身構えとは、いわゆる丹田のことです。

「勝負を決するのは瞬間に応じることのできる身のさばきである。しかもその時の、一瞬の出足である。早い方が当然勝を制する。ここに動きうる身の構えと、それをコントロールし、リードする呼吸法が必要である。正しい身構えと動きというのは、つねに重心が中心に安定していることである。中心というのは丹田のことで、丹田の位置は、恥骨と臍(へそ)を結ぶ線の中央の奥で、丁度仙骨と腰椎の接骨部から腹部前方にひいた線の中心点である。この点に重心が安定している場合には、心理的にも生理的にもまた姿勢の点においても、最も正しい状態になっているのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房75頁)

丹田は、臍の下3寸(約10センチ)の奥にある「生体の中心」で、氣力の集まるところとされています。武道や舞踊はもとより、華道や茶道などにおいても、動作や所作の要となります。丹田を中心に体幹が整い、中心力や統一力が生まれるのです。(続く)