同じ程度の困難が起きたとき、それを乗り越えて成長する人と、そこで終わってしまう人がいます。その乗り越えていく力のことを適応力と言います。
沖導師は「悟りとは適応性が高度にたかまって、何ごとにも調和できる状態になっていること」だと述べました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房12頁)。
同じ程度の困難が起きたとき、それを乗り越えて成長する人と、そこで終わってしまう人がいます。その乗り越えていく力のことを適応力と言います。
沖導師は「悟りとは適応性が高度にたかまって、何ごとにも調和できる状態になっていること」だと述べました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房12頁)。
沖導師は「ヨガ行法の実行によって、二十二年間の痼疾(こしつ)から脱却」されます。痼疾とは長患いのことで、種々の慢性症状を脱して健康を取り戻されたのです。しかし、体調の回復で幸福になれたかというと、「心の悩みや動乱は依然として続いてい」ました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房10頁)。
※1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房をもとに述べています。
さて、沖導師は長年の病弱に苦しまれていました。何とか健康回復を図りたいと願い、様々な健康法や修行法を教える団体に入会されます。また、通常の化学療法や物理療法、精神療法に不満を抱いていたことから、神秘的で奇蹟的な治療をヨガに求めました。そうして昭和14年、インドに渡って本場のヨガに接します。
苦しみを悪と見ず、避けようとしない。文明交代期の最激変期に突入する今こそ、この心得が大切になると思います。人類に与えられた苦しみを悪と見ず、進化のための意欲に転換させていく。そこから新たな共生文明が創造されるはずです。
火事場の馬鹿力とは、普段眠っている能力のことに他なりません。イザというときに発揮される底力がそれです。
誰の人生にも、例外なくいろいろな困難が伴います。予想もしなかった問題に悩まされたり、人間関係の様々な苦しみに揉まれたり、多くの障害に邪魔されたりしますが、それでも負けることなく困難を乗り越えていかねばなりません。
企業の経営であれ、団体の運営であれ、付きまとう悩みに「お金の問題」と「人の問題」があります。いわゆる資金繰りと人手の確保です。これらの問題に意識を取られ、日々目の前の実務に追われます。特に「人の問題」は、何らかの組織運営を担っている者にとって尽きることの無い悩みの種でしょう。
神(かみ)とはなんでしょうか。大和言葉のカミには、目に見えない奥深い働きや作用という意味があります。
カミのカ音は隠れる・影・陰・霞む・風・空(から)などのカで、ハッキリしないが奥深い働きのある様子を、ミ音は実・身・水(みづ)・満ちるなどのミで、本源や本質を表しています。
「21世紀は、人類にとって大変厳しい時代となる。しかし、それを救うカギが東洋にある。おまえは東洋を学べ」。
この啓示を受けたのは、今(令和5年・2023年)を去る49年前、高校2年生の17歳のときであった。以来、武道、東洋医学、沖ヨガ、国学(大和言葉)、文明法則史学(東洋の時代到来を予測する文明周期論)、武士道、中国思想、日本仏教(開祖の生き方)などを学んできた。