「21世紀は、人類にとって大変厳しい時代となる。しかし、それを救うカギが東洋にある。おまえは東洋を学べ」。
この啓示を受けたのは、今(令和5年・2023年)を去る49年前、高校2年生の17歳のときであった。以来、武道、東洋医学、沖ヨガ、国学(大和言葉)、文明法則史学(東洋の時代到来を予測する文明周期論)、武士道、中国思想、日本仏教(開祖の生き方)などを学んできた。
やがて、これら東洋日本思想に関する諸学を「綜學」という名前でまとめていった。綜學とは綜合学問の略で、部分観をベースにした近代の学問を超え、今一度日本人が持っていた全体観を取り戻すための学術(原理と応用)だ。
綜學は、世界を知るための「文明法則史学」と、日本人としての情を養うための「大和言葉」と、乱世と言っていいこの時代に意志を持って生きるための「東洋思想」を三つの柱としている。三つ合わせて知情意の学問となる。
半世紀近くに亘るこれまでの学びによって、綜學は一応の形を整えたと自負している。しかし、どんな学問も、もうこれで完成というゴールはあり得ず、常に生成発展していくべきものと思う。
では、どう生成発展させたらいいのか。さらに学問を探究しようというとき、あるいはその学問に新たな内容を加えようという場合、大事なことは原点からブレないで進めることだろう。原点は、その物事の種であり出発点にあたるものだ。原点には、種としての根源力があり、そこから芽が出て成長していく生命力がある。
さて、東洋学の探究を志した17歳の翌年、高校3年生の私は、静岡県三島市にある沖ヨガ道場の夏期研修(確か一週間)に参加した。その後、東洋医学の専門学校を卒業してから、改めてこの道場で約1年間の住み込み修業をした。
道場の正式名称は、求道実行会密教ヨガ修道場。主宰者は沖正弘というヨガ導師だ。沖導師は日本ヨガ界の草分け的存在で、その教えには、まさに綜合思想の名に値する奥深さがあった。しかも、全て実行と体験を根拠とする活学である。沖導師の教えは、東洋を学ぶ私にとって、今も大切な原点となっている。
そこで、この沖導師から学んだ「密教ヨガ」の教えを繙(ひもと)くことを新しい連載としたい。そうして、綜學の哲理を深めていく所存だ。連載の資料は、沖導師の最も初期の著書とされる『人間を改造する ヨガ 行法と哲学』(以下、『ヨガ行法と哲学』)1960年霞ヶ関書房を選んだ。
同書の「まえがき」に次のように記されている。「私は、今回もっとも古くてもっとも新しい行法哲学ヨガの概論書を書いてみた。私がヨガを知ってから二十数年になる。ヨガは体と生活をもって真実を哲学するものである。すなわち、ヨガは、体験によって真実を認識し、「こうすればこうなる。」という事実を集積して、それを体系づけたものである。このためにヨガの教えは体験を通さないと理解しにくいものである。私のヨガに対する理解も体験を経るに従って変わってきている。」(『ヨガ行法と哲学』5頁)
体験を通してはじめて真実や真理を掴むことが出来るというこの教えを受けて、私は大学進学ではなく実学を体験する道を選んだ。鍼(はり)や灸、手技(按摩や指圧)などの資格を得るための専門学校に入学したのだ。それは、まだ東洋医学に対する世間の理解が浅かった当時としては随分変わった選択であり、「なぜ普通に大学に行かないのか」と、高校同級生たちから随分不思議がられた。それはともかく、東洋医学を学んだのも、沖ヨガ道場に入門したのも、体験が大事であるという教えに接したからであった。(続く)