企業の経営であれ、団体の運営であれ、付きまとう悩みに「お金の問題」と「人の問題」があります。いわゆる資金繰りと人手の確保です。これらの問題に意識を取られ、日々目の前の実務に追われます。特に「人の問題」は、何らかの組織運営を担っている者にとって尽きることの無い悩みの種でしょう。
「天下一人(いちにん)を以て興る」(中野正剛)という言葉があります。何事も一人から興るのですが、実際に事を興したら、一人ぼっちでは前に進みません。やはり同志や仲間が必要となります。
ところが、人にはそれぞれ意志や都合というものがあります。元来生まれも育ちも個性も違う者同士が集まり、一緒に仕事したり運営したりするのですから、いろいろな心の摩擦や思惑の行き違いが生ずるは普通のことと言えます。
特に大きな使命を持った活動ほど、理想が高い分、上り坂がきつくなり、向かい風も激しくなります。見当違いな誹謗中傷を受けたり、足を引っ張られて後ろ向きのエネルギーを取られたりすることも起こり得ます。
それが嫌なら、何もしないでじっとしていることです。坂は緩くなり、風も静まり、問題は起き難くなります。しかし、このまま動かないでいるわけにはまいりません。成さねばならぬ事があるからです。志や理想を持って生きていく以上、立ちはだかる「人の苦労」に負けるわけにはいかないと。
我々の人生は、高調と低調を繰り返します。何らかの苦しみが生ずるのは世の常です。ならば、困難を単に避けようとするのではなく、それら(困苦や試練)がなぜ自分に与えられたのか、その意味を素直に考えみてはどうでしょうか。
沖導師は、苦しみや悩みがあるからこそ、人間は進化発展してきたのだと教えました。
「われわれの心身および生活の上の起伏は絶え間がない。人生は悲喜のくり返しのごとくである。この苦しみから脱却したいとの本能的な欲求が人間進化の歴史を形作ったものであると思う。宗教も科学も、この基盤の上に発達してきたものである。ゆえにヨガにおいては、苦しみを悪とみないのである。苦しみを悪としてそれを避けようとするところに迷信、邪法が生じたのであるとしているのである。」(沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房7頁)
人は苦労では潰れないが、苦労の意味が分からなくなると潰れていきます。活動運営の経験から、私はそう思っています。一体この仕事や活動が、何のため誰のためにあるのかを見つめ直し、苦労の意味を今一度明らかにすることで、前に向かう力を甦らせてまいりましょう。「人の問題」を悪と見ず、結束力を高めていくきっかけに生かそうというわけです。(続く)