沖導師は「ヨガ行法の実行によって、二十二年間の痼疾(こしつ)から脱却」されます。痼疾とは長患いのことで、種々の慢性症状を脱して健康を取り戻されたのです。しかし、体調の回復で幸福になれたかというと、「心の悩みや動乱は依然として続いてい」ました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房10頁)。
それは、悲しく辛く怒れる、嫌な出来事が次々と人生に起こるということであり、善い事をしても善い結果になるとは限らず、むしろ悪い結果が生ずることもあります。その悪い結果は、なぜ起こるのか分からず、それに対してどうしたらいいのかも不明であるといった状態に苦悩されたのです。
一般に精神修養団体では、そういう人に諭すための決まり文句があります。「一切の責任は自分にある」のだから、まず自分を変えなさいという言葉です。沖導師もそう思われました。
ところが「詫びるべきだ、感謝しなくてはならないと頭には思うのであるがすなおにそれができない。苦しみは善への前提であると教えられてはいても容易にその心になれ」ず、「気付いてみると、いつも打算や成否や対立の囚(とりこ)になっている自分」がおります。要するに、教えは「わかってもどうにも実行できない自己の姿にもがいていた」のです(同10頁)。
そうしてもがいているうちに、無私・無我の心で奉仕に生きた聖人である釈尊やガンジーらが、皆ヨガの行者であったことを教えられます。沖導師も、そういう聖人となることを志され、ヨガの行を続けることになりました。「何物にもひっかからない心の持ち主になる」ために、瞑想行法と哲学に主眼を置いて、さらにヨガを深めていったのです(同11頁)。
ヨガで体が健康になったから、もう行法は不要だと思うのではなく、まだ精神面が不安定だから、もっとヨガを究めていこうとされたわけです。もしも肉体鍛錬のためだけの指導者で終わるのが天分ならば、きっと天は精神面の煩悶を沖導師に与えなかったと思います。
こうして病気をきっかけにヨガと出会い、そこから精神の深化へ向かわれ、やがて日本ヨガ界草分けの指導者として、求道実行の哲学を説かれることになります。(続く)