其の十八 食べ物は自己化してこそ栄養となる、研修も自己化してこそ活動源となる

生命体は、必要なものを摂取し、不要なものは排泄して生きています。摂取は呼吸と飲食によってなされ、酸素や栄養素が「生命エネルギー」となって生体が維持されます。そうして身体を健全に保つ働きを栄養といい、沖導師は食物による栄養について次のように述べています。

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其の十四 東洋医学は、治療に際して全身のバランス状態を見る

自分を治す力は、もともと自分の中に備わっている。治療は、内在する治す力を引き起こすことを基本とする。そこに東洋医学の在り方があり、その力のことを自然治癒力や自然良能と呼んでいます。

一般に東洋医学では、病名をあまり付けません。病名が付いているということは、治療方針を立てる上でとても大切なことですが、その一方で、患者という人間全体よりも“病気という部分”に囚われてしまう弊害が起こり得ます。

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其の十三 自分にふり掛かる変化を、成長に活用することを自己肯定という

偏らないでバランスを取るということ。これについて沖導師は、次のように述べています。

「生命とは調和維持の働きであり、現象はその要求の現われであり、生体保持の原理は適応性であることを発見した。この観点から苦の原因が生命の働きの不調和性(アンバランス)と不自然性にあることを発見した。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房45頁)。

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其の十一 瞑想によって、宇宙と自分、天と人が一体であることに気付く

思案の挙げ句、探していた答は、自分の中にあったというご経験はありませんか。自分の中にあるもの、それはご先祖からチスヂ(血筋)として受け継いでいる霊格や天性であったり、生まれた国や故郷の自然や信仰、言葉や習慣などによって形成された人格や個性であったり、あるいは幼少期の学問や体験によって育まれた信念や価値観であったりします。

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其の十 自分に聞けというのは、まさにイノチに聞けということ…

「勘ほど確かなものは無いんや」。そう言われたのは、経営の神様と呼ばれた松下幸之助塾長です。勘は、いい加減な当てずっぽうではありません。松下塾長ほど、納得するまで熟慮を重ねる人はいませんでした。よく考えた末、最後の決断は勘を頼りにしたということです。

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其の九 嫌な事態に追い込まれても、なお耐え抜き、許し、愛せるかどうか…

火事場の馬鹿力とは、普段眠っている能力のことに他なりません。イザというときに発揮される底力がそれです。

誰の人生にも、例外なくいろいろな困難が伴います。予想もしなかった問題に悩まされたり、人間関係の様々な苦しみに揉まれたり、多くの障害に邪魔されたりしますが、それでも負けることなく困難を乗り越えていかねばなりません。

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其の八 出来るはずのない理不尽な指示で鍛えられる!

「火事場の馬鹿力を日常的に出せ!」。これも沖導師の大事な教えです。沖ヨガ修道場(静岡県三島市)で行われる「強化法」という行法が、その火事場の馬鹿力の出し方の訓練でした。

ヨガと聞くと、ゆっくり行う独特のポーズや、静かに呼吸する瞑想法などを思い浮かべる人が多いでしょう。沖ヨガ修道場の場合、行法はそれらばかりではありません。道場で一番ハードな行法に強化法というものがあり、自分が持つ能力を過小評価しがちな固定観念を、しっかりと打ち破るための様々な鍛錬が組まれていました。

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