其の八 出来るはずのない理不尽な指示で鍛えられる!

「火事場の馬鹿力を日常的に出せ!」。これも沖導師の大事な教えです。沖ヨガ修道場(静岡県三島市)で行われる「強化法」という行法が、その火事場の馬鹿力の出し方の訓練でした。

ヨガと聞くと、ゆっくり行う独特のポーズや、静かに呼吸する瞑想法などを思い浮かべる人が多いでしょう。沖ヨガ修道場の場合、行法はそれらばかりではありません。道場で一番ハードな行法に強化法というものがあり、自分が持つ能力を過小評価しがちな固定観念を、しっかりと打ち破るための様々な鍛錬が組まれていました。

たとえば、男性の左右の腕をそれぞれ二人の女性が持ち、男性は前に向かおうとし、女性はそうはさせまいとして後ろに引っ張ります。がんばらないと、男性は後方に引き摺られていきます。横にいる沖導師は、竹刀で男性の背中をパンパン叩き、「おい、こら!もっと踏ん張れ!」などと言いながら馬鹿力を発揮させようとしたのです。

馬鹿力の発揮というのは、精神面にもあります。ときどき沖導師は、出来るはずのない理不尽な指示を出しては、私を鍛えてくれました。

沖ヨガ修道場に内弟子として住み込む前、私は専門学校で鍼(はり)師・灸師・按摩マッサージ指圧師の資格を取得していました。その資格を生かし、道場内で鍼治療も担当しており、あるとき数十人の受講生に鍼(はり)を打ち終えたところに、沖導師からの命令を連絡係の研修生が伝えてきました。その内容は、今から質疑応答会を行うから、5分後に全員を大広間に並ばせよというものでした。

打ち終えた鍼を抜くだけでも、人数が多いから5分以上かかります。その上、道場内のいろいろな部署で何かを担当している研修生ら呼び集め、数部屋に分かれて行法に取り組んでいる受講生たち全員を並ばせるとなると、通常では少なくとも1時間は要することになります。

そこで、とにかく研修生の手の空いている者に手伝わせ、まず鍼を抜き、次に人員把握を行い、さらに受講生を並ばせて、何とか質疑応答会の準備を整えました。時計を見たら、8分ほど経っていました。さすがに5分は無理でしたが、数分の遅れですんだのです。

また、ある日の指示は、受講生から30人を選び、三島の本部道場からバスで下田の道場へ移動せよというものでした。このときもいきなり指示が出され、5分後に出発せよと!

受講生らは、やはりいくつかのグループに分かれて行法に取り組んでいる最中でした。突然下田へ移動するから荷物をまとめよと言われた者は、本当に大変だったことでしょう。どうにかこれも、少しの遅れですみました。

沖導師という人は、何という滅茶苦茶な指示を出す人だろうと呆れ、変人としか思えませんでした。しかし、沢山の研修生や受講生らを“犠牲”にしてまで、私一人を育てようとしてくださったのですから誠に有り難いことでした。

この道場での経験が、後にいろいろな活動を行う際の心得となります。一度にいくつもの活動を同時進行で進めたり、後れを取らないようテキパキ事を運んだりするときの工夫や知恵に生かされたのです。現在も多くの講座を開き、いろいろな活動を展開していられるのは、基本的に沖導師の指導がもとになっていたからです。

なお、しばらくの間、道場の強化法を私が担当し、その指導内容を数パターン考えました。それを道場に来ていた外国人が詳細にメモしていましたから、もしかしたら欧米に伝わった沖ヨガの強化法の中に、その頃私が考案したものが含まれているかも知れません。あるアメリカ人女性の受講生が、私のことを「キョウカホウズ・キング!」と呼んでくれていたことを思い出しました。(続く)