其の十八 食べ物は自己化してこそ栄養となる、研修も自己化してこそ活動源となる

生命体は、必要なものを摂取し、不要なものは排泄して生きています。摂取は呼吸と飲食によってなされ、酸素や栄養素が「生命エネルギー」となって生体が維持されます。そうして身体を健全に保つ働きを栄養といい、沖導師は食物による栄養について次のように述べています。

「栄養ということをたべ物それ自体と誤って考えている人が多いが、栄養は食べた物を吸収し、消化し、中和し、排泄する働きの中にあるのであって、いくら食卓に並べた食物その物にカロリーを含んでいても、それを自己化する力を持っていなければ、いたずらに食物を糞便化するのみで、そういう人は排泄までの中間過程で、その分解物が有毒化して障害を起こすことが多いのである。世の多くの人は食べることを栄養だと思っているようであるが、生体は必要以上には吸収できないようになっていて、いたずらな過食は老廃物をつくるのみである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房51~52頁)。

栄養の素になるのが栄養素(タンパク質、脂質、糖質、ビタミン、ミネラル)です。栄養素は一日に必要とする摂取量が示されており、多すぎても少なすぎてもいけないとされています。

しかし、必要とされる量を口から胃に入れたとしても、それを消化吸収出来なければ栄養にはなりません。食べ物は自己化してこそ栄養となるのであって、自己化出来なければ排泄のためのエネルギーで疲れるだけです。

「どれだけ受け入れたか」ではなく、「どれだけ自己化したか」を問わなければ意味を成さないのです。それは勉強や仕事にも言えることでしょう。いくら本を沢山読み、いくつもの研修を受けても、その中から自分にとって必要な点を見出し、ポイントを要約して人生や仕事に生かさなければ、労力や時間の無駄遣いで終わってしまいます。

この「必要な点を見出し、ポイントを要約する」作業を、「気付きと置き換え」といいます。見たり・聞いたり・読んだりした中からピンと来た事が「気付き」、自分なら・我が社ならと連想しつつ具体策を練っていくのが「置き換え」です。これを知らないまま、漫然と学習や研修を続けているから成長しないのです。
(続く)