其の十七 無理に誘わないのに「人を誘える人」は、どこが違うのか?

目標は大事、狙いどころも必要。でも、それが怒りや妬み、私利私欲などから意図されたものである場合、心と体に無理が溜まって歪みが生じ、不健康となる可能性があります。

「正しい心のもとに正しい姿勢で事を行う時に心身は全体として相互協調して、全身で事を行うことになる。つまりどこにも無理がなく、全体が一つになって働いているのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房50頁)。

「正しい心」とは何でしょうか。その定義は簡単ではありませんが、不調和のもととなる考え方や感じ方は、少なくとも「正しくない」はずです。個人的な怒りや妬みの感情は、身体に悪影響を与えて自らを不健康にし、身勝手な私欲から起こされた行動は、酷ければ身を滅ぼすことにもつながりかねません。

身勝手な私欲から起こされた行動を取る人の場合、自分の欲に相手を従わせられるかどうかだけを見ています。例えば、商品をひたすら買わせようとするだけの店員です。客をよく見ず、客の望みを察しないまま、無理矢理売り付けようとするから、もう客は避けるしかありません。それを逃すまいとし、買うまで開放しないといった態度を取り続ければ、相手を恐がらせる一方となります。

昔、中国地方のO市駅前のデパートでそういう店員に遭遇し、閉口したことがありました。ジャケットを次々私に勧めてくるのですが、似合うかどうかはそっち除け。断り続けたのでとうとう諦めてくれたものの、不満いっぱいの顔付きで離れていき、さっそく次の客を探す有様でした。

相手を自分に従わせようという強引な心は、その人の顔を引きつらせ、態度を威圧的にします。それは、高級なデパートとは不釣り合いな醜い姿でした。不調和だから、全然美しくなかったのです。

客商売で、ただ売り付けようとするのは、もってのほかの態度です。そもそも、良い商品と客を結ぶところに店員の存在価値があります。客がその商品を購入・使用して幸せになる様子を想像しつつ、落ち着いた物腰と柔らかな所作によって接客すれば、自然とお買い上げいただけようになるはずです。

林の各地の講座に、多くの人を紹介してくださる方がいます。まるで魔法に掛けられたかのように受講者が集まって来るのですが、威圧的な雰囲気は全く無く、柔らかで優しい感じの人です。

どうして人をお誘い出来るのか率直に聞いてみたところ、無理に誘うことは全然しないのだそうです。目の前の人を見ているうちに、この人を○○先生のところに連れて行けば(その人の)悩みが解決するかもしれない、○○の会につなげばきっと求めていた新たな展開が起こる気がするなどと心に浮かべ、それに従ってごく自然に話すだけで来て貰えるのだそうです。

まさにそういう誘い方が、心身が相互協調して全身で事を行い、どこにも無理がなく全体が一つになって働いているという状態の例なのだと思われます。(続く)