同じ程度の困難が起きたとき、それを乗り越えて成長する人と、そこで終わってしまう人がいます。その乗り越えていく力のことを適応力と言います。
沖導師は「悟りとは適応性が高度にたかまって、何ごとにも調和できる状態になっていること」だと述べました(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房12頁)。
また「生命作用は適応作用」であり(同12頁)、それは訓練によって養われるので、体験がとても重要であるとのことです。まさに「体験は頭の学を全身の学にしてくれる」のです(同2頁)。
筆者の唯一の趣味は武道です。合氣道でも空手道でも、目で見て頭で思うことと、実際に稽古してみて身体に感じることは全然違います。簡単な動作一つが、何十回何百回という繰り返しによって、やっと身に付くことになります。
知識情報に囚われ部分観に陥りがちな現代人には、何よりも体験や訓練が不足しているのではないでしょうか。分断化された自己主張が飛び交い、自ら体験していない事への無責任な批判が多いと感じます。体験していたとしても初心者止まりで、たまたま成功したり失敗したりした事例に基づいた、断片的な批評が多いように思うのです。
何事もくり返しによって身に付き、体験として意味を持つことになります。訓練にあたって沖導師が教えていた心得が「無理するな、無駄するな、一途につづけてやれ」でした(同13頁)。
どんな動作にも必ず原理というものがあり、理に外れてはならない。どこかに無駄な力が入っているようでは、バランスが取れていないからすぐに疲れてしまう。せっかく始めた以上、続けなければ体得に至らないと。
訓練で身に付けたコツを仕事や日常に生かせば、人生への適応力が高まることになります。いろいろな変化に対して、新たな調和(バランス)を起こせるようになり、困難を乗り越えていくための適応力が養われるわけです。(続く)