苦しみを悪と見ず、避けようとしない。文明交代期の最激変期に突入する今こそ、この心得が大切になると思います。人類に与えられた苦しみを悪と見ず、進化のための意欲に転換させていく。そこから新たな共生文明が創造されるはずです。
この積極思考について、沖導師は次のように教えを続けます。
「ここで苦しみを正見正思してみよう。苦しみにはいろいろな宇宙的意味(天啓、神示)が含まれている。ヨガにおいては、正しく現象を受け取って進化向上の生活をすることを、神の御心に生きる(宇宙の計らいと共に生きる)すなわち、神人合一の生き方というのである。」(沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房7頁)
そうして、苦しみは自己を進化させるため、病気は健康を回復させるため、悩みは生活を変えるために起こっている「生命の要求」と受け止めよと。辛くて悲しいとしか思えない事の中にこそ、むしろ仏の慈悲や神の愛が含まれていると教えるのです。
苦しみや悩み、辛さを好き好む人はいませんが、それは誰にでも起こる得ることであるならば、いろいろな問題を生き方や在り方を変えさせるための生命の要求と受け止め、そこから前に向かう以外に道は無いでしょう。沖導師の教えは、消極的な「受け入れ」や「諦め」の勧めではありません。そうではなく、変革や進化のためのエネルギーに転換せよという前向きな教えなのです。
そこに、ヨガの意味があります。ヨガは梵語(サンスクリット語)のヨーガの音写であり、結ぶ・繋(つな)ぐといった意味を持っています。また、ヨガは瞑想などの行法と、それによって到達する世界(心身が調和・統一された状態)を綜合的に表している言葉でもあります。
なお、密教もヨーガ(瑜伽)を重んじます。密教では、身密(しんみつ:姿勢を正して手に印を結ぶ)、口密(くみつ:真言(マントラ)を唱える)、意密(いみつ:心に仏意識を観ずる)の三密を実践します。それによって心身のバランスを回復させていき、苦しみや悩みという自分を縛っていたものから離れ、ヨーガの境地へ向かうことになります。(続く)