其の五十七 無の境地でやろうと考えたら、もう無の境地ではなくなっている…

「無の境地」という言葉があります。私欲による煩悩や、執着心による苦しみなどから解放された状態が「無の境地」であると言われています。何にも囚われず、ひたすら無心になってこそ、その境地に至ることになるのでしょうが、これがなかなか大変です。

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其の五十六 生活を修行の場とし、職業を通じて極意を掴む!

さて、「道の奥」へ到達するには、一体どこで修行すればいいのでしょうか。勿論、何かの道場に入り、深山幽谷に籠もれば修行がし易いでしょう。ところが沖導師は、日々の生活や職業を、そのまま修行の場とすればいいと教えます。

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其の五十五 信念に基づいて生きていけば、本当の満足感が湧き起こってくる!

一つの道で達人となれば、他の分野の奥義や極意に通じるということについて、沖導師はさらに次のように語ります。

「どの道の達人であれ、みな共通して、「吾の胸中何物もなく、求める心もない、ただ敬い、ただ受け、ただよろこび、ただ行い、ただまかせるのみ」という。ただ、ただの心、ただの生き方、これがヨガの極意である。

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其の五十四 先へ進めば進むほど、まだその先があるということに気付かされる…

何事も、初心者としての取り組みは本当に大変です。分からない事や戸惑う事に苦労して不安だらけですが、その不慣れなときの体験や経験は、その後の人生にとって「一つの自信」や「大切な支え」となってまいります。

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其の五十三 僅かな期間でも、体験するのとしないのとでは大きな差が生ずる…

砂糖を食べたことがないため、「甘さ」というものを知らないという人に、どう説明したら甘さを分かってもらえるでしょうか。「砂糖は食べるととても美味しく、とろけるような心地良さがある。甘味(あまみ)とはそういうものなり」などと説明してみたところで、砂糖を食べたことのない人に「甘さ」の本質を理解させるのは極めて困難でしょう。それと同様に、武道や稽古事など諸芸・諸能において、そのコツや神髄を説明のみで理解してもらうことは不可能に近いと言えます(この砂糖の例えは、松下幸之助翁の話の中にありました)。

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其の五十二 学んだらやってみる、知ったら生かしてみる…

知(ち)と行(こう)の合一、すなわち知ることと行うことは一つであるという「知行合一」の思想(陽明学)を唱えたのは、中国明代の思想家・王陽明です。
知ったからには行う、行ってこそ知は完成するという行動哲学であり、我が国の志士たちにも大きな影響を与えました。沖導師は、そこにヨガの基本姿勢があると教えています。

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其の五十一 仕事であれ何事であれ、究めた者だけが到達する境地がある…

徒弟制度が生きていた昔、仕事は見習い小僧の丁稚奉公(でっちぼうこう)から始まり、やっと一人前になるまでに時間が掛かりました。仕事自体が「修養としての一つの道」になっていて、仕事場は人生の道場でもあったのです。

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其の五十 無理せず・無駄せず・気にしないで、新たな道へ転換するのも方法

理由は特に無いが、「もう一度、確認しておこう」というモヤモヤした気持ちが湧き起こってきた。それで、念のため調べてみたら本当に間違いが見つかった、というような経験は誰にでもあると思います。「虫の知らせ」といったインスピレーションによって、問題を早期に発見出来て良かったといった事もあるでしょう。

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