其の五十 無理せず・無駄せず・気にしないで、新たな道へ転換するのも方法

理由は特に無いが、「もう一度、確認しておこう」というモヤモヤした気持ちが湧き起こってきた。それで、念のため調べてみたら本当に間違いが見つかった、というような経験は誰にでもあると思います。「虫の知らせ」といったインスピレーションによって、問題を早期に発見出来て良かったといった事もあるでしょう。

モヤモヤした気持ちや、虫の知らせ、霊感といった予感は、元来その人を守るために起こる現象だと思われます。それを素直にキャッチしていれば、何事も無難にいくし、問題が生じても解決出来るし、たとえ難問であっても、それを乗り越えて成長や発展へ向かうことになります。

そういうことを前提に沖導師は、「すべてを神意と受取っているからどんな立場におかれても、それは善くなる前提であると感謝して受入れて心静かに全力をあげて精進することができる」し、「すべての縁は好転してくる」と言われたのでしょう。

誰だって平安を好みますし、苦労はしたくありません。わざわざ困難を求める必要も無いと思います。でも、何かと問題が起こるのが世の常です。ここでやめるわけにはいかないならば、とにかく腹を括るしかありません。

その際、大事なことは「苦労の意味を知る」ということです。同じ程度の苦労であっても、それを乗り越えていける人とそうでない人がいるのは、意味が分かっているかどうかが分かれ目になっていると考えられます。「同一境遇にあっても心の持ち方一つで客観は変ってくるものである」というわけです。

但し、苦労の意味は十二分に理解しているが、いくらなんでももう限界だ!という場合があります。そのときは、無理せず・無駄せず・気にしないで、新たな道・自分に向いた道・自分でなければやれない道へ転換するのが良いでしょう。

とにかく、どう見てもおかしいし、どう考えてもバランスが取れていない、などと判断される環境に要注意です。そういう場に長く居続けたら、自己崩壊しかねません。闇雲に続けるばかりが能ではなく、潔く去ることも一つの根性の表し方ではないでしょうか。(続く)