沖ヨガによる「病氣を治すための基本となる考え方」は、自分を治す力は、自分の内にあるというところにあります。このことに気付かず、いつも他を頼り、外ばかり見ておりますと、心身の慢性的な不調はなかなか好転しません。
そもそも医療人や治療家の役割は、人の内に宿る力(自然治癒力)を引き出すところにあります。物事を正しく見ていけば(正見・しょうけん)、その事実を自覚することになるはずです。
沖ヨガによる「病氣を治すための基本となる考え方」は、自分を治す力は、自分の内にあるというところにあります。このことに気付かず、いつも他を頼り、外ばかり見ておりますと、心身の慢性的な不調はなかなか好転しません。
そもそも医療人や治療家の役割は、人の内に宿る力(自然治癒力)を引き出すところにあります。物事を正しく見ていけば(正見・しょうけん)、その事実を自覚することになるはずです。
異常は、普段とは違う状態のことです。人体であれば熱や痛み、倦怠感などの違和感がそれにあたります。それらは辛い症状ですが、直ちに(悪でしかない)病氣なのかというと、決してそうではないと沖正弘導師は説きます。
違和感のある症状は、心身のバランスを回復させるためのものであり、「健康を維持しようとする働きの現われであ」り、体内に起こっている「治す力の働いている姿である」とのことです。
病氣は悪いもの、病氣の原因は外にある、治療は外から処置するしかない。
これらは、病氣に対する「通常の考え方」です。
病に冒されれば、辛かったり痛んだりするのですから、病氣を「悪」と捉えるのは当然のことです。病原菌などは外からやって来るのだから、それを如何にして追いはらうかに苦心した歴史があります(疫病退散・病魔退散)。
そして、病氣は放っておいたら悪化するだけだし、自力ではもう救われないのだから、あとはもう名医や妙薬を見付け、ひたすら外から有効な治療を受けるしかないと他力にすがります。
しかし、沖正弘導師は、それらは病氣に対する誤解であると言われます。
◇生体を「弱化」させる「誤った生活の持続」を切り替えよう!◇
既に述べた「気性」について、もう少し解説しておきます。
「気」の本漢字(旧漢字)は「氣」と書きます。「氣」は、「米」を炊くときに湯氣(ゆげ)が上がる様子を表しています。湯氣は確かに存在するのだから、氣は有るのか無いのか分からない曖昧(あいまい)なものではなく、はっきりと実在しているエネルギーを意味します。
心身の異常を起こす原因に、病氣に対する迷信と、それに囚われた生活があるのだそうです。迷信とは、病氣を敵視することであると。
「迷信とは、生命の行っている正当防衛であり調和回復方法であるところの病氣や苦しみを、不必要なもの、悪いもの、敵なるものと思うことである。病苦のないのを健康或いは悟りだと信じているから、そう思うのである。迷信にとらわれた心身は正見することはできない。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.128.)
特に慢性的な症状の場合ですが、「自分は病人である」という強い思い込みによって、“病人人生を定着”させてしまっていることがあります。そういうときは、まず病人であるという心の状態から変えていかなければ、決して救われないというのが沖正弘導師の教えです。
異常を作り出す元となるのが、病氣に対する迷信です。それについて、沖正弘導師は次のように述べています。
生命は、常に陽陰(陰陽)のバランス(調和)を維持するよう働いています。
それは「神の働き」そのものです。
「最初に無いものは、最後まで無い」。事を起こす最初に、種としての「原点」や、幹として育てていく「本氣」の志が無いと、活動は大抵(たいてい)空中分解します。
生命の働きによって、私たちは生きています。生命は、周囲から自分に及ぶ刺激に反応し、心身の調和を維持しようと努めます。こうした「反応しつつ適応」し、安定を保とうとする性質を「恒常性(ホメオスタシス)」と呼びます。それについて、沖正弘導師は下記のように説いています。