其の百四十一 存在を維持するためには、現状のままでいたらダメ…

自然の働きが「神」、生命の作用が「神」です。あらゆるものが「神の現れ」となっています。自然や生命は、必要なら新たな物を形作り、そうでなければ不要な物を取り去ります。その現れに真実があると、沖導師は説きます。

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其の百四十 カミ(神)は生命に内在し、働きや作用を起こしている…

メガネはどこいった? あちこち心当たりを探してみるが見つからない…。
一体どこで無くしたのだろうと考え込み、思わず手を頭に当てたらメガネはそこ(頭)にあった、なんていう笑い話を幼少の頃テレビで観た記憶があります。大切なものは、自分自身に備わっているという例え話です。

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其の百三十九 病を治す作用や、悩みから救われる働きは、自己の内に備わっている…

そもそも「自然」には内在する知恵があります。それを松下幸之助塾長(松下政経塾)は「自然知」と呼びました。自然知に基づいて進めていくのが、師が提唱されていた「新国土創成論」です。それは単なる開発とは違う、天地人一体の大構想でした。

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其の百三十八 現象に流されること無く、同時に観念に迷い込むことも無い…

「昔、ここは○○屋さんだったなあ…」とか、「ここにあった蕎麦屋さんに、ときどき出前を頼んでいたなあ…」などと、感慨深く振り返ることがありませんか。

いま居るところや、かつて住んだところの一昔前を思い起こすと、その頃お世話になった店々(みせみせ)が、今はかなり入れ替わっているという現実に氣付かされます。その一方で、たとえ以前より寂れているとしても、(全体が消滅していない限り)街が街であることに変わりが無いということにも感じ入ります。

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其の百三十七 一見、不要と思われかねない作法の中に大事なものが潜んでいる…

子供の頃、テレビで大相撲を見ていて、「お相撲さんって、どんどん入れ替わるんだな…」って思ったことがあります。成績によって力士の番付が場所毎に移動し、前までいた力士の名前が消えていく(下がっていく)ことに無常観を抱いたのです。やがて何年も経つと、昔からいたお相撲さんが僅(わず)かになってしまうことに、何とも言えない淋しさを感じました。

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其の百三十六 こちらの色メガネで、相手を決め付けてしまうのは本当に恐いこと…

人間は、過去の経験を知識(知恵)として積み重ね、それを状況判断に生かしています。こういうときにはきっとこうなるとか、こういう人は後でこう出るなどと、経験知を今と後(のち)に生かしているのです。それが、いつも的確ならばいいのですが、「妄執」によってズレが起こると大変です。

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其の百三十五 自分の心の通りに世界が見えてくる…

この世界では、心が一切を決めている…。それを「唯心」と言います。

「心が乱れていても、体が乱れていても、万象は乱れて見えるので、そのことをそう見ながらそう見えるのである。そう思うからそう思えるのである。心清ければ一切清く、心たのしければ一切たのし(三界は唯心の所現)と言っている。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.107.)

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其の百三十四 冥想は、世界の根源的働きや、人生の意味などを感じ取るための行法

冥想(めいそう)と聞いて、一体何を思い浮かべますか? 禅寺の座禅や、インド伝来のメディテーション等を連想し、ただじっと座っていることだと考えている人が多いと思います。冥想について、沖ヨガの沖正弘導師は、次のように解説しております。

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