其の百五十 自分を駄目な人間と思い込み、そういう自分を擁護してしまう…

異常を作り出す元となるのが、病氣に対する迷信です。それについて、沖正弘導師は次のように述べています。

「迷信とは、生命の行っている正当防衛であり調和回復方法であるところの病気や苦しみを、不必要なもの、悪いもの、敵なるものと思うことである。病苦のないのを健康或いは悟りだと信じているから、そう思うのである。迷信にとらわれた心身は正見することはできない。で誤見についていえば、たとえば胃病を長く患っている人があるとする。そうすると、この人は自分を胃弱と思いこんでいる(信念)。そうしてそのように自分を扱っている、そうして養生と称して、その胃弱を維持するにふさわしい心身の扱い方をしているのである。そうすると胃はいつまでも弱い状態を続けざるを得ないのである。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.128.)

そもそも「病気や苦しみ」というものは、生命体が自分を守ろうとして起こしている「正当防衛であり調和回復方法である」というのが沖導師の見解です。

それを「不必要なもの、悪いもの、敵なるものと思う」ところに迷信があり、それらの迷信の起こりは、肉体にとって「病苦のない」状態が健康であり、精神にとっては「悟り」であると信じ込んでいるところにあるとのことです。
そして、そのような「迷信に囚われた心身」では、物事をありのままに正しく見る(正見)ことは出来ないと。

誤った見方(誤見)に立っている例として、長年胃病を患っている人の場合、「自分を胃弱と思いこんで」おり、胃弱に合うよう「自分を扱って」います。
それはもう「信念」とも言うべき姿であり、結果として胃弱を維持する方向に生活や習慣が定着してしまうというわけです。

また、氣質(気性)においても同様で、自分に対して否定的になります。

「気性の面においても同様で、自分を駄目と思いこんで、駄目に扱う心の持ち方をつづけている。これが誤見である。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.128.)

「自分は駄目である」という方向に自己暗示をかけていき、「駄目である自分」を擁護するための「心の持ち方を続けて」しまうのですね。

いわゆる慢性病は、このような自己否定的な精神状態が、ずるずると定着してしまった結果であるということを沖導師は指摘しました。

「慢性病は急性病の続きではない、病菌のためでもない。弱化する誤った生活の持続のためにおこった適応性の変化であり、即ち気性であり、体癖であり、生活である。

ここで治さなければならないのは病気ではなく、その人自身であるということが分かったと思う。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.128.)

知らず知らずのうちに、私たちは自分で自分を弱める生活を続けています。
やがて、それに合うよう心身が適応していって、その人の「気性」や「体癖」(身体の癖)が形成されていきます。それが慢性病というものなのだから、慢性病は急性病の延長線上にあるものではなく、病原体によってそうなったのでもないという率直な指摘です。

従って、「病気」だけを相手にしていたのでは解決にはならない。自分自身の在り方から見直すべきである、というところに「沖導師の叫び」があるのです!
(続く)