特に慢性的な症状の場合ですが、「自分は病人である」という強い思い込みによって、“病人人生を定着”させてしまっていることがあります。そういうときは、まず病人であるという心の状態から変えていかなければ、決して救われないというのが沖正弘導師の教えです。
「病気は何も無いのに病人である人が多い。先ず病人を治すのが先決問題で、病人でなくなれば、自然と異常は消失してしまう。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.128.)
人間の「思い」は良くも悪くも強力で、その精神の力によって思っている事が現実化します。本当はもう病氣でないのに、まだ病人であるという固定観念によって、病人を続けているケースが想像以上にあると。だから、病氣を治す前に、まず「病人」であるという観念から治そうというわけです。
聖地を巡礼したら、歩けないはずの人が車椅子からすっくと立ち上がり、松葉杖が要らなくなったとか、尊い聖水を飲んだら長年の病状が一氣に治ったとかいう話があります。そうした“効果”は、巡礼や聖水によって「病人であるという強い思い込み」が外され、本来の機能を取り戻せたことの現れではないかと思うのです。
これを国の病を治す場合に置き換えてみますと、国家社会の何がどう悪化しているのかについて、その病状を客観的に調査分析するとともに、もう一方で、日本にはとてつもない底力があり、本当は“既に治っている”という信念・自覚が欲しいのだろうと考えます。
とにかく、個人であれ国家であれ、その病状や病理を表観(表や外を観ること)してばかりいますと、「消極観念」が次々湧き起こって、ますます悪い現象から抜け出せなくなります。表観で危機を受け止めつつも、裏観(裏や内を観ること)によって、眠っている底力や可能性を見出すことを忘れてはなりません。
「病人というのは消極観念と体歪癖から心力と体力の発揚をさまたげる生き方をしている人である。」
(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.129.)
私はダメな人間、日本は悪い国。そういう消極的な観念に囚われたままでは、個人も国家も「体歪癖(たいわいへき)」、つまり歪む癖から脱出出来ません。本来持っているはずの「心力と体力の発揚」が、このまま妨げられているようではマコトに困ります。(続く)