生命の働きによって、私たちは生きています。生命は、周囲から自分に及ぶ刺激に反応し、心身の調和を維持しようと努めます。こうした「反応しつつ適応」し、安定を保とうとする性質を「恒常性(ホメオスタシス)」と呼びます。それについて、沖正弘導師は下記のように説いています。
「われわれが生きているのは生命が働いているからで、生命の働きとは、環境の刺激に対する調和維持(反応と適応)の働きである。生命は常に恒常性を保とうとの要求(働)をもって働いているのである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.117.)
そして、人体には、恒常性を維持するために仕組みが備わっており、それは自動的に行われているとのことです。続けて、下記をご覧ください。
「またそのように機構ができているのであって、しかもこれを自動的に行っているのである。健康とか解脱(悟っている生活)とかは、この恒常性維持力の高いことである。この能力は生活法が誤っていると低下し、訓練すればする程高まるのであって、ヨガでは最高の恒常性維持能力のことを不動心と言っている。ヨガはこれへの心理的生理的な道程を教えるものである。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房pp.117-118.)
要するに健康であり、心に囚われが無い(つまり解脱や悟り)というのは、心身の「恒常性維持力が高い」という状態に他ならないと。そして、それは「生活法が誤っていると低下し、訓練すればするほど高ま」ります。
沖ヨガでは、この「最高の恒常性維持能力のことを不動心と言」い、不動心に至るための道筋を教えているのです。
そして、「生きているということは、この恒常性維持のために、内外環境の刺激と常時闘っている姿」そのものであるそうです。
「生きているということは、この恒常性維持のために、内外環境の刺激と常時闘っている姿であって、物理的刺激に対しては神経がその役を受け持ち、化学的刺激に対しては分泌腺がその役を受け持ち、細菌刺激に対しては淋巴(りんぱ)がその役を受け持ち、心理刺激に対しては大脳がその役を受け持っているのであって、これらの全部が綜合統一されているのが、生命現象である。」(1960沖正弘『ヨガ行法と哲学』霞ヶ関書房p.118.)
生命体は、恒常性維持のために闘います。沖導師は、それを4項目で説明されました。第一は、物理的刺激に対する神経の働き。第二は、化学的刺激に対するホルモンの分泌。第三は、細菌刺激に対するリンパ節の働き。そして第四が、心理刺激に対する大脳の対応とのことで、これらが「綜合統一されて」生命現象が維持されていきます。
恒常性維持能力が正しく行われるには、日常生活が重要になります。そのために、食事と呼吸、姿勢と体操、精神統一などのヨガ行法が設けられているというわけです。(続く)