陰暦(本暦)の「長月二十日のころ」は、年によってズレがあるものの、新暦(現在の暦)では10月下旬あたりとなります。長月は夜長月ともいわれ、まださほど寒くない中、秋の夜長に月を愛でるのに相応しい時期です。
その頃兼好法師は、「ある貴人に誘われて夜が明けるまで月見して歩くことが」ございました。すると散策の途中、「貴人に思い出される所があって、(従者に)取り次ぎをさせてから、ある家にお入りになった」のだそうです。昔はスマホも何もありませんから、伝言や依頼に従者の取り次ぎが不可欠でした。
陰暦(本暦)の「長月二十日のころ」は、年によってズレがあるものの、新暦(現在の暦)では10月下旬あたりとなります。長月は夜長月ともいわれ、まださほど寒くない中、秋の夜長に月を愛でるのに相応しい時期です。
その頃兼好法師は、「ある貴人に誘われて夜が明けるまで月見して歩くことが」ございました。すると散策の途中、「貴人に思い出される所があって、(従者に)取り次ぎをさせてから、ある家にお入りになった」のだそうです。昔はスマホも何もありませんから、伝言や依頼に従者の取り次ぎが不可欠でした。
「残心」という心得があります。相手に対し、あるいはその場に対して心を残し、いっそう完成度を高めていく。そういう、どこまでも心を込めようとする日本人らしい大事な姿勢が残心です。
残心は、単に「そこに意識を留める」という程度の事ばかりではありません。真剣な氣迫によって、精神エネルギーを向こうまで突き通すということこそ本来の残心であり、それによってトドメを刺すことにもなります。
四季の移ろいがもたらす豊かな自然は、日本人の持つ細やかな感性を育みました。季節毎の風情を味わえるところに、我が国特有の人生観や幸福感が存在したのです。その季節感は、会話において季節の挨拶から始める日常生活や、手紙において時候から書き起こす作法を生みました。俳句に必ず季語を入れることも同様です。
公家から武家へと時代の主役が移行する中、兼好法師はそれら両方の立場を繋ぎながら、自然や世の中、人間に対して鋭敏な感性を発揮しました。その豊かな観察眼を第三十一段のエピソードからご紹介し、兼好法師の細やかな人間性を味わってまいりましょう。
《徒然草:序段》 「する事もなく暇でならない。退屈な心のまま、一日中硯(すずり)に向かって心に移り行くつまらない事を、とりとめもなく書き付けてみたところ、何とも変な気持ちになってきた。端から見たら、きっと気違いじみている …
『徒然草』という随筆を知らない人はいないでしょう。作者の卜部兼好(うらべかねよし)は、鎌倉末期から南北朝時代にかけての文人です。
卜部兼好よりも吉田兼好(よしだけんこう)という名前のほうが世に知られておりますが、実は“吉田兼好”はいなかったということが明らかにされています。
では、『孫子』最終章の締め括りです。優秀なトップの下に、有能な軍師が仕えるということ。そこに、天下を取って素晴らしい政治を行う要があります。
《孫子・用間篇その五》
「昔、殷王朝が興ったとき、夏王朝にいた伊尹(いいん)の働きがあった。
周王朝が興ったときは、殷王朝にいた太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)の働きがあった。
敵軍や敵城を攻撃し、敵将を倒そうとするときは、その前に間者が活動し、いろいろな者から情報を得ておく必要があります。守備に就いている将軍、君主の左右にいる側近、君主への取り次ぎ役(多くが宦官)は、重要な情報を知る立場の者たちですから、当然のこと探索のターゲットになります。
敵の間者が自国に潜入している場合、こちらの誰がターゲットとなるでしょうか。素人判断では、やはり有力者が標的にされるのであって、責任の軽い者や立場の低い者は相手にされないと思われがちです。ところが孫子は、有力者に繋がっているか、有力者の情報に関わる立場にいる者全てが、間者による調査対象になると教えています。誰でもターゲットになり得るのです。
間者が伝える情報ですが、常に詳細な内容(文字量)であるとは限りません。
合い言葉や隠語を使うなどして、途中で人に漏れても大丈夫なよう工夫している可能性があります。真実は行間を読まねば分からないのですから、受け取る側に「細やかな感覚」が無いと、「間者から真実を感得することが出来ない」ことになります。