「残心」という心得があります。相手に対し、あるいはその場に対して心を残し、いっそう完成度を高めていく。そういう、どこまでも心を込めようとする日本人らしい大事な姿勢が残心です。
残心は、単に「そこに意識を留める」という程度の事ばかりではありません。真剣な氣迫によって、精神エネルギーを向こうまで突き通すということこそ本来の残心であり、それによってトドメを刺すことにもなります。
特に武道が、この残心を尊びます。剣道なら「メン~!」と相手に打ち込んだ先に残心を込め、合気道なら相手を投げた向こうに残心を通します。そうすることによって、わざが格段に冴えるのです。
接客も同様で、お客様のお見送りに残心が働きます。心の籠もった丁寧な所作が残心となって、そこから奥ゆかしさが表れます。では、残心によって表現される「たしなみの美しさ」を第三十二段から学んでまいりましょう。
《徒然草:第三十二段》
「九月二十日(ながつきはつか)のころ、ある貴人に誘われて夜が明けるまで月見して歩くことがあった。その折り、貴人に思い出される所があって、(従者に)取り次ぎをさせてから、ある家にお入りになった。
(その家の有様は)荒れた庭に夜露(つゆ)がしっとりと降りていて、わざとらしくないお香の匂いがほんのりとただよっている。世を忍んで暮らしている様子が、たいそう趣き深く感じられた。
貴人は程良い時間で出ていらっしゃったが、益々その様子が優雅に思われて、物陰からしばらく見ていたところ、(家の主人は)妻戸(両開きの板戸)をもう少し押し開けて月を見ている様子である。
すぐに掛け金を掛けて室内に籠もってしまったならば、実に残念なことであっただろう。(客を見送った)後までこちらを見ている人がいようとは、どうして知ることが出来ようか。こういう事は、ただ日頃のたしなみによるものだろう。その人は、(惜しいことに)間もなく亡くなったと聞いた。」
※原文のキーワード
思い出される…「おぼし出づる」、取り次ぎ…「案内(あない)」、夜露がしっとりと降りていて…「露しげきに」、ほんのりとただよって…「しめやかにうちかをりて」、世を忍んで暮らしている様子…「しのびたるけはひ」、たいそう趣き深く感じられた…「いとものあはれなり」、程良い時間…「よきほど」、益々その様子が優雅に思われて…「なほ事ざまの優におぼえて」、物陰…「物のかくれ」、もう少し…「今少し」、月を見ている様子…「月見るけしき」、すぐに…「やがて」、掛け金を掛けて室内に籠もってしまったならば…「かけこもらましかば」、残念なことであっただろう…「くちをしからまし」、どうして知ることが出来ようか…「いかでか知らむ」、日頃のたしなみ…「朝夕の心づかひ」、間もなく亡くなった…「ほどなく失せにけり」(続く)