《徒然草:序段》
「する事もなく暇でならない。退屈な心のまま、一日中硯(すずり)に向かって心に移り行くつまらない事を、とりとめもなく書き付けてみたところ、何とも変な気持ちになってきた。端から見たら、きっと気違いじみていることだろう。」
※原文のキーワード
する事もなくて暇で退屈な心のまま…「つれづれなるまま※つれづれは連れ連れで、退屈心に連れられるままにという意味になる」、一日中…「日ぐらし※日くらしの説もある」、つまらない事…「よしなしごと※よしなしは由し無し」、とりとめもなく…「そこはかとなく」、変な気持ち…「あやしう※あやしくのウ音便」、気違いじみている…「ものぐるほし」
「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて…」という、世によく知られた書き出しで始まるのが徒然草の序段です。既に出家している兼好法師が、これまでの体験や見聞きした事などを、エッセイとして執筆している様子が目に浮かびます。一日中硯に向かうというのは、現代であればパソコンやスマホに集中しているということに他なりません。
兼好法師は、世間的にああしたい、こうしたいという欲を既に捨て去ったのでしょう。世間的な名誉欲や金銭欲に囚われなくなれば、心の拘(こだわ)りが消えて素直になります。そこから、兼好法師の人間と世の中に対する、深くて鋭い観察眼が発揮されることになったのです。
退屈しのぎにつまらない事をあれこれ書いてみたが、変な気持ちになってきた。気違いじみているとしか思われまい。これらは兼好法師の謙虚さの表れであると共に、内容に対する自信の程が表明されているとも言えます。日本人にとって、謙虚さは自信の裏返しでもあるのです。(続く)