陰暦(本暦)の「長月二十日のころ」は、年によってズレがあるものの、新暦(現在の暦)では10月下旬あたりとなります。長月は夜長月ともいわれ、まださほど寒くない中、秋の夜長に月を愛でるのに相応しい時期です。
その頃兼好法師は、「ある貴人に誘われて夜が明けるまで月見して歩くことが」ございました。すると散策の途中、「貴人に思い出される所があって、(従者に)取り次ぎをさせてから、ある家にお入りになった」のだそうです。昔はスマホも何もありませんから、伝言や依頼に従者の取り次ぎが不可欠でした。
その家の主人は、おそらく貴人とかつて懇ろな仲であった女性と思われます。思い出したというよりも、忘れられないくらい仲睦まじかった相手であろうと想像します。
家の様子ですが、「荒れた庭に夜露がしっとりと降りて」います。荒れた庭といっても、樹木が家を覆うほど生い茂り、雑草が歩行を妨げるくらい蔓延(はびこ)っているというわけではないでしょう。手入れし過ぎていない庭といった意味であり、ある程度自然に任せておくことで素朴な風情が醸し出されていたのです。
そして、庭には「わざとらしくないお香の匂いがほんのりとただよって」います。お香は、これから人がやって来ることを予期して焚いていたものではありません。
庭といいお香といい、「世を忍んで暮らしている様子が、たいそう趣き深く感じられ」ました。その女主人は、今では小さな邸宅に侘び住まいをしている隠者だったのです。
さて、「貴人は程良い時間で出て」来られました。突然の訪問ですし、外に兼好法師を待たせているのですから長居は出来ません。
兼好法師は、美意識や美学に長け、風流や風情というものに敏感な文人です。庭の趣とお香から、その優雅さに興味がそそられ、「物陰からしばらく見て」いました。すると、女主人は両開きとなっている「妻戸をもう少し押し開けて月を見ている様子」ではありませんか。この残心の籠もった見送りの姿に、兼好法師はすっかりまいってしまいました。(続く)