其の七十 沢山獲得したければ、上を見ないで下を見よ?!

貝合わせとは、平安時代に行われていた女性たちの遊びで「物合わせ」の一種です。360個の蛤(はまぐり)それぞれの内側に同じ絵を描いておき、出し貝と地貝に分けます。

そして、あらかじめ地貝は伏せて並べておき、出し貝を一枚ずつ出しては貝殻の表側の色合いや模様を見比べ、一致する貝を見つけます。同じ貝であれば内側の絵も同じですから、それで一個を確保したことになるという遊びです。

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其の六十九 目標が遠いときほど、近くをよく見よ。そのほうがよく当たる!

距離の離れた目標になかなか当たらないという場合、対策として手元のポイントをよく見ることで命中精度を上げるという方法があります。ボーリングが一つの例で、レーン上の手前にスパットというマークがあり、プロボーラーはピンではなくスパットに狙いを定めて投げるのだそうです。

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其の六十八 理解出来たら正しい、理解出来なければ間違い。だから闘争になる…

兼好法師の言う「自分の才智を取り出して人と争う」者とは、常に自己と他者を明確に分け、自己を絶対視しては他人と比較し、自分が優位に立つことで喜びや満足を得ようとする人間のことです。

そして、そういう人は大抵、自分が理解出来る事が正しく、理解出来ない事は間違いであると決め付けてきます。本来、自分が理解出来るかどうかということと、それが正しいかどうかということは、別次元で考察すべき事柄です。それを無理矢理、理解出来る=正しい、理解出来ない=間違いというようにイコールで結び、自分が理解する容量を超えた場合、直ちに間違いと断定し、相手を厳しく裁いては蹴落とします。

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其の六十七 真の志士英傑なのか、それとも単なる野心家なのか…

どんなに権勢を誇った人も、一度病に冒されて体調を崩せば、たちまち求心力を失います。そして老衰し、いよいよ亡くなる直前ともなれば、本人そっちのけで醜い後継者争いが表面化するばかりとなります。

中には死後に名が残る人物がいますが、それは一握りであって、大抵の人は引退・隠居とともに忘れ去られていきます。特に政治屋は、その傾向が強い稼業と言えます(だからこそ政治家には哲学思想、即ち確固たる世界観や国家観、歴史観や人間観の修得が必要なのです)。

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其の六十六 驕り高ぶった偉そうな様子と、自己中心に偏った願望を捨てなさい!

ところで、聖人と称えられている孔子は、若い頃随分目立ちたがり屋だったという説があるのをご存じでしょうか。いつも背伸びしており、優秀で偉い人と思われないと気が済まないタイプだったというのです。

そんな孔子が、あるとき周の都の洛陽に行き、道家の老子に「礼」について尋ねました。老子は一目見て孔子の思い上がった性格に気付き、次のように答えます。

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其の六十五 自分を超えた者が入って来ると、平常心でいられなくなって大変…

「俺くらい何でも知っている人間はいないぞ」と自慢する。「私くらい優秀な人間はいないのよ」と偉ぶる。世間にはそういう人が沢山いますが、多くが子供っぽく、端から見てその稚心(ちしん)が分かり易いものです。

中には、優しくて謙虚そうに見えるものの、心の奥では自慢し偉ぶっているという人もいます。プライドが高い分、外面(そとづら)を良くすることで一層偉く見られようとしているのでしょう。

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其の六十四 他人の領域までしゃしゃり出て論評したり、自慢したりしないこと

とにかく黙っていられない。他人の領域までしゃしゃり出ては論評し、通ぶって自慢する。そういう輩がときどきいます。

「一つの芸道にたずさわる人」というのは、何かの分野に秀でている人のことです。既に一つの分野で活躍して実績を上げていますから、どこへ行っても注目を集めます。自信に満ちており、自分にとって専門外の分野でも喝采(かっさい)を浴びたくなって、つい次のようなことを口に出してしまいます。

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其の六十三 偉く見られ、大事に扱われたいという傲慢さを捨てよ!

何かの分野で活躍すると、世間の注目を浴びて目立つようになります。いろいろな場でちやほやされ出し、自分は普通の人間とは違う特別な人間なのだという、思い上がった気分が生じてきます。

やがて、それがいつものこととなれば、どんな場でも偉く見られ、誰からも大事に扱われて当然という傲慢な精神状態に至ります。実力を発揮して成果を出している者ほど、そういう感情を沸き立たせてしまいがちなものです。

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其の六十二 絶え間ない雑談、その内容は無駄話ばかり…

では、会話について書かれている『徒然草』第百六十四段を読んでいきます。

《徒然草:第百六十四段》
「世の中の人が出会うとき、少しの間も黙っているということが無く、必ず何か話をしている。その内容を聞くと、多くは無駄話だ。世間のうわさ話、他人の批評などは、自分のためにも他人のためにも、失うことが多く得るものは少ない。

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其の六十二 気に入らない発言を受け入れないという「言葉のボール拒否」も困る

兎に角、会話はキャッチボールみたいなものです。良い球を投げ合ったら練習になるのに、乱暴に投げたらデッドボールの連発にもなりかねません。言葉のキャッチボールも全く同じです。

また、自分にとって気に入らない発言を受け入れないという「言葉のボール拒否」も困ります。頭ごなしに「それはあり得ない」だの「全然理解出来ない」だのと拒否反応を示されれば、こちらは閉口せざるを得ません。特に、常に誤情報や陰謀論に引っ掛かっては、それらを無批判に持論とし、異なる意見を受け入れないで批判し続けるような人に「言葉のボール拒否」が見られます。

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