其の七十八 一人の独裁者が誕生し、取り巻きがイエスマンばかりになることに要注意!

さて、時頼の母・松下禅尼が、煤けた障子の破れを自ら小刀を使って修理されましたところ、その日の世話役としてお仕えしていた禅尼の兄・秋田城介義景が、代わりに誰か器用な者に張らせましょうと申し上げました。

すると禅尼は、この私よりも器用な者はいないでしょうと言って、障子の一コマずつの張り替えを続けます。それに対して義景は、そのように一コマずつではなく、一度に全部を張り替えるほうがはるかに楽ですよ、それに張り替えたところと元のところが、まだらになって見苦しいですし、と訴えました。

そこで禅尼は、一コマずつの張り替えの意味を打ち明けます。「尼も後でサッパリと張り替えようと思うのですが、今日だけは、わざとこうしておきます。物は破れた所だけ修理して用いるものだと、若い者に見習わせ、気付かせるためです。」と。

兼好法師は「これはとても世に珍しい感心な事」であり、「世を治める道は、倹約が本となる」のだから、この話のような心得が大切だと言われました。禅尼は直接政治に関わらない女性ですが「聖人の心に通じて」おり、やはり天下を執権として保つほどの息子を持つ母親は、「ただの人ではなかった」というわけです。

実力者のかなりが、実権を握ると大なり小なり独裁者化し、言動が横柄になります。創業期に苦楽を共にした仲間をあっけなく切り捨て、資金や人事を全て掌握し、何でも自分で決めるようになっていくのです。

そうして、一人の独裁者が誕生し、やがて取り巻きはイエスマンばかりになります。イエスマンたちは能力的に優秀ですが、独裁者に認められようとして成績を上げることに躍起になります。その煽(あお)りを受け、真面目な仲間たちが迷惑を被り、酷ければ潰されることにもなります。そうやって離反者が続いて内部が弱っていき、とうとう外部から攻められて自滅するのです。

果たして、禅尼の障子の張り替えというメッセージに、時頼はちゃんと気付けたのでしょうか。徒然草には、その結果まで書いてありませんが、その後の時頼の名執権としての活躍からすれば、当然のこと母の教えを深く受け止められたに違いありません。

この障子のようなメッセージは、我々にもいろいろな方面から届けられているはずです。それに気付けるうちは大丈夫だが、鈍感になると危ないということでしょう。(続く)