其の七十六 名執権の心得は、母親の教えにあり!

名執権として知られる北条時頼には、その母親の賢明さを称える逸話があります。武家政権らしく質実倹約に努め、驕奢な生活を戒める心得が、母親の教えにあったとのこと。

貧しさは人を卑屈にし、贅沢なだけの豊かさは人を堕落させます。政治は国民を卑屈に陥らせても、堕落に導いてもいけませんが、まず上に立つ指導者から己を戒めなければなりません。

《徒然草:第百八十四段》
「相模守(さがみのかみ)北条時頼(鎌倉幕府第五代執権)の母は、松下禅尼(まつしたのぜんに)という名でいらっしゃった。(息子である)相模守を迎え入れ申し上げなさることがあった折り、煤(すす)けた障子(しょうじ)の破れたところだけを、禅尼がその手で小刀を使い、切り回して張られた。

すると、その日の世話役としてお仕えしていた禅尼の兄(しょうと)である秋田城介義景(あきたじょうのすけよしかげ)が、「その仕事を頂戴して某男(なにがしおとこ)に張らせましょう。そういう仕事を心得ている者でございますので。」と申し上げたところ、「その男、尼が細工によもや勝ってはおりますまい。」と言って、なおも障子の一コマずつお張り続けになった。

そこで義景は、「全部を張り替えるほうが、はるかに容易(たやす)いことでしょう。まだらになりますのも見苦しいことです。」と重ねて申し上げますと、「尼も後でサッパリと張り替えようと思うのですが、今日だけは、わざとこうしておきます。物は破れた所だけ修理して用いるものだと、若い者に見習わせ、気付かせるためです。」と言われたが、これはとても世に珍しい感心な事であった。

世を治める道は、倹約が本となる。禅尼は(直接政治に関わらない)女性だが、聖人の心に通じている。天下を(執権職として)保つほどの人を子として持っていらっしゃったのは、誠にただの人ではなかったからだと聞くところである。」

※原文のキーワード
世話役…「経営(けいめい)」、サッパリと…「さはさはと」、こうして…「かくて」、気付かせる…「心つけむ」、世に珍しい感心な事であった…「ありがたかりけり」(続く)