其の八十一 すぐに身に付けてしまう者は、飽きるのも早くて長続きしない…

諸道諸芸における一流の人物が修業時代を振り返りますと、かなりの人が、始めた最初の頃は鈍くて下手であったと語ります。仲間たちに比べ、自分は随分不器用だったが、諦めることなく続けているうちに段々上手くなっていき、気が付いたら一流の仲間入りを果たしていた、などという感想を述べるのです。

勿論その分野に天分を持ち、最初から頭角を現しつつ、若い内に上手になるのが一番良いのですが、そこに二つのタイプがあり、師匠の教えをよく守って名人や達人の域に辿り着く人と、上手いことは上手いが専門家とは呼べない趣味人程度に留まる人に分かれていきます。

器用にこなし、教えられた事をすぐ身に付けてしまう者は、飽きるのも早くて長続きしない場合が多いようです。たちまちコツを掴んでしまう分、あまり面白味を感じられなくてさっさとやめてしまうか、(工夫とは異なる)自分勝手なやり方を施しては、飽きが来ないよう気を紛らわすことになります。

まだ基本が身に付いていない段階で自分勝手にやってしまう人は、いくら天性に優れていても非専門家(器用上手)で終わってしまいかねません。それに比べ、たとえ不器用であっても専門家として慎重に修練を重ねていけば、必ず一流(名人や達人)になれるというのが兼好法師の見解です。

《徒然草:第百八十七段》
「全ての道の専門家に言えることだが、たとえ不器用な人であっても、器用で非専門家という人と並んだとき、必ず専門家のほうが勝っているものだ。その理由は、専門家が絶えず慎重に努力して軽々しくしないのに対して、非専門家はもっぱら自由気ままにやってしまうという点が、同じでないというところにある。

芸能や技術だけではない。日常の動作や心の用い方においても、愚かであっても慎重であれば体得のもととなる。巧みだが欲しいまま勝手にやるというのは、失敗のもとである。」

※原文のキーワード
全ての道の専門家…「よろづの道の人」、不器用…「不堪(ふかん)」、器用…「堪能(かんのう)」、非専門家…「非家」、慎重に…「慎しみて」、もっぱら…「ひとへに」、同じでない…「等しからぬ」、技術…「所作」、日常の…「大方の」、動作…「ふるまひ」、心の用い方…「心づかひ」、体得…「得」、失敗…「失」(続く)